【猪木さんお別れ会】藤波、棚橋が弔辞、オカダ音頭で猪木さんに捧げる「1、2、3、ダー!」『アントニオ猪木お別れの会』 2023/3/7
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『アントニオ猪木お別れの会』が7日、東京・両国国技館で行われ、関係者、ファン4800人が猪木さんに別れを告げた。藤波辰爾、棚橋弘至らが弔辞を述べ、オカダ・カズチカの音頭で「1、2、3、ダー!」を天国の猪木さんに捧げた。 昨年10月1日、“燃える闘魂"アントニオ猪木さんが心不全のため死去。79歳で生涯を閉じた。多くのプロレスファン、猪木ファンが大きな悲しみに暮れてから5ヵ月が経過。この日、お別れの会が執り行われた。会場は両国国技館。新日本初使用となった1985年4月18日のブルーザー・ブロディ戦を筆頭に、86年2月の藤原喜明戦、89年2月の長州力戦など猪木さんが多くの名勝負を残した国技の殿堂だ。 会場に集まったのは4800人。実弟・啓介氏ら親族、プロレス界からは発起人代表を務めた坂口征二新日本相談役を筆頭にとする新日本OB、各団体の選手らが多数列席。猪木さんとかかわりの深い政界、芸能界からも多くの関係者が駆けつけ、猪木さんに別れを告げようとたくさんのファンが集まった。 会場内には猪木さんの大きな遺影、リングが設置され、「闘魂」の金文字があしらわれた赤い供花による式段がかけられた。また、ステージ上には真紅の闘魂ガウンが展示された。お別れの会は2部制で、第1部では式典が行われた。VTRに「道」の詩が映し出されると、坂口相談役が開会を宣言。テーマ曲「炎のファイター」が流され、場内は大きな手拍子に包まれた。 猪木さんに捧げる追悼テンカウントゴングで幕を開けた。新日本旗揚げ戦、モハメド・アリ戦、巌流島決戦、引退試合など猪木さんの名勝負の数々が上映されると、森喜朗元内閣総理大臣、藤波、棚橋、古舘伊知郎アナウンサーが弔辞を述べた。 愛弟子・藤波は猪木さんとの出会い、新日本旗揚げ当時を回想すると、「技も髪型も洋服も全てのあなたの真似をしました。あなたに出会い、私の人生は大きく変わりました。共に練習をし、タッグを組み、時には戦いました。そのすべての瞬間が私の人生の財産です」と感謝の念を表した。自身は69歳となった今なお現役を続け、猪木さんから教わった闘魂を伝承していくことを宣言。「あなたは私の永遠の師匠であり、不滅のヒーローです。あなたにとって初めて許された休息の時。ゆっくりと安らかにお休みください。でも時々リングに会いに来てください。僕はいつでも帰りを待ってます」と天国の猪木さんにメッセージを送った。 棚橋は猪木さんのファンだった父が本名の猪木寛至から1文字を取って命名したことを明かし、「猪木さんがプロレスラーになって新日本プロレスを作られたからこそ、現在多くのレスラーがプロレスラーを目指し、僕たちもプロレスラーになりました。そして今日、この会場にも多くのファンの方が来てくれています。猪木さんが本当にプロレスラーになってくれたからこそです」と感謝。新日本をこれからも支えていく立場として「猪木さんが作られた新日本プロレスがますます盛り上がっていくように厳しい目で見ていてください」と話した。 かつて猪木さんと名勝負を繰り広げたドリー・ファンク・ジュニア、タイガー・ジェット・シンからのVTRメッセージが上映されると、弟・啓介氏が「アントニオ猪木をこのようにたくさんの皆様方に見送られて、心安らかに旅立っていけるのではないかと思います。最後に残した言葉、ありがとう。僭越でございますが、私からもありがとうの言葉で締めくくらせていただきたいと思います。皆さん、本当にありがとうございました」とあいさつ。最後にオカダ・カズチカの音頭で列席者が「1、2、3、ダー!」の叫びを天国の猪木さんに捧げた。両国国技館に惜別の猪木コールが発生した。 その後、献花が執り行われ、親族、発起人の面々、来賓代表の松山千春、巌流島、GLEAT、ストロングスタイル、全日本、大日本、DRAGONGATE、ZERO1、ノア、新日本の選手たちがリングに花を手向けた。14時から第二部として一般向けの献花が行われる。 ☆『アントニオ猪木お別れの会』発起人 発起人代表 坂口征二(新日本プロレスリング株式会社相談役) 森喜朗(元内閣総理大臣) 野田佳彦(元内閣総理大臣 衆議院議員) 長浜博行(参議院副議長 参議院議員) 馬場伸幸(日本維新の会代表 衆議院議員) 玉木雄一郎(国民民主党代表 衆議院議員) 鈴木宗男(参議院懲罰委員長 参議院議員) (下記五十音順) 石井和義(国際正道空手道連盟FIKA正道会館) 石橋保彦(株式会社平和相談役) 伊藤豊志雄(株式会社シーディーシー代表取締役社長) 伊藤直樹(IKGプロモーション株式会社代表取締役社長) 稲吉正樹(NOVAホールディングス株式会社代表取締役社長) 江本孟紀(野球評論家) 大塚直樹(株式会社タジマ代表取締役会長) 小川直也(小川道場代表) 亀田興毅(3150FIGHTファウンダー) 川村和弥(ショータイム代表) 川村龍夫(株式会社ケイダッシュ代表取締役会長) 木谷高明(株式会社ブシロード代表取締役社長) グレート小鹿(大日本プロレス会長) 小島康江(株式会社創取締役会長) 榊原信行(株式会社ドリームファクトリーワールドワイド代表取締役社長) 坂口泰司(新日本プロモーション代表取締役社長) 佐々木健介(元プロレスラー) 佐山サトル(ストロングスタイルプロレス総監 初代タイガーマスク) 杉本英雄(株式会社焼肉坂井ホールディングス代表取締役会長) 関浩志(株式会社スーパーフォー代表取締役社長) 高島宗一郎(福岡市長) 高島英三郎(アントニオ猪木関西後援会) 高田延彦(高田道場代表) 竹田勝司(元ジャパンプロレス代表取締役) 竹村冬美(株式会社ディー・テック・プロモーション代表取締役社長) 田中敬子(力道山夫人) 田中誠(有限会社一二三企画) 長州力(元プロレスラー) 蝶野正洋(アリストトリスト有限会社代表取締役) 十枝利樹(オールジャパン・プロレスリング株式会社取締役) 富野敏成(有限会社共同企画) 長井力(株式会社ベストライフ代表取締役) 長岡末治(株式会社デリチュース相談役) 馳浩(石川県知事) 張本勲(野球評論家) 春次賢太朗(春次メディカルグループ理事長) 藤波辰爾(ドラディション代表) 藤原喜明(藤原組) 古舘伊知郎(フリーアナウンサー) 星野真二(新日企画) 北斗晶(株式会社健介オフィス代表取締役) 前田日明(リングスCEO) 松下剛(株式会社MTG代表取締役) 松浪健四郎(学校法人日本体育大学理事長) 丸藤正道(プロレスリング・ノア取締役副社長) 武藤敬司(プロレスリング・ノア) 森山幸則(NPO法人世界寛水流空手道理事長) 山本英俊(円谷フィールズホールディングス代表取締役社長CEO) 【藤波の弔辞】「初めてあなたに会ったのが16歳で、私は今69歳になりました。気がつけば53年の月日が流れました。田舎の少年がブラウン管に映し出されるあなたの勇姿に憧れを抱きました。アントニオ猪木になりたくて故郷の先輩・北沢(幹之)さんを頼りに入門して、その日から53年が経ちました。今も昨日のことのように思い出されます。あなたが日本プロレスから独立し、新日本プロレスを旗揚げした際、何一つ迷うことなくあなたについていきました。私の決断は間違っていなかったと心に信じてます。夜逃げ同然であなたのスーツケース5、6個を持ち、できたばかりの新日本プロレスの事務所に駆け込んだ夜、猪木さん、あなたを筆頭にたった6名での旗揚げだったですね。あなたの厳しさは山本小鉄さんや我々にも伝わり、まさに手作りの旗揚げでした。アントニオ猪木になりたい。本気でそう思いました。技も髪型も洋服も全てあなたの真似をしました。あなたに出会い、私の人生は大きく変わりました。共に練習をし、タッグを組み、時には戦いました。そのすべての瞬間が私の人生の財産です。一人のレスラーとしてあなたに勝ちたくて、超えたくて、大きな背中を追い続けてきました。1988年8月8日、横浜文化体育館でのあなたとのタイトルマッチは私にとってかけがえのない思い出です。あなたにベルトを巻いてもらったことがこの上ない喜びでした。様々な困難にもともに立ち向かいました。新日本プロレスの社長時代にはオーナーであるあなたに背を向けたこともありました。でもあなたを恨むことも嫌いになることもできませんでした。あなたが去ってから、心の喪失はまだまだ癒えることはありません。きっと自分の親よりも長く過ごしたあなたの存在をこの先もずっと忘れることはないでしょう。私はまだあなたに教えられた闘魂を胸に戦い続けています。あなたの教えを後輩たちにつないでいきます。最後になりますが、あなたは私の永遠の師匠であり、不滅のヒーローです。あなたにとって初めて許された休息の時。ゆっくりと安らかにお休みください。でも時々リングに会いに来てください。僕はいつでも帰りを待ってます。限りない感謝を込めて。2023年3月7日。藤波辰爾」 【棚橋の弔辞】「猪木さん、ありがとうございました。選手を代表して言わせていただきます。猪木さんがプロレスラーになって新日本プロレスを作られたからこそ、現在多くのレスラーがプロレスラーを目指し、僕たちもプロレスラーになりました。そして今日、この会場にも多くのファンの方が来てくれています。猪木さんが本当にプロレスラーになってくれたからこそです。猪木さん、ありがとうございました。そして猪木さん、凄く個人的なことなんですけども、ウチの父が猪木さんのファンで、猪木さんの本名・猪木寛至の至という字を僕は1字いただきました。そして結果、プロレスラーになりました。プロレスラーになれて本当に良かったです。最後になりますが、猪木さん、これからも猪木さんが作られた新日本プロレスがますます盛り上がっていくように厳しい目で見ていてください。よろしくお願いします。ありがとうございました」 【ドリー・ファンク・ジュニアのメッセージ】「こんにちは。ドリー・ファンク・ジュニアです。私の戦いの中で最も強い相手の一人、それは偉大なるアントニオ猪木です。大阪で60分間試合をして引き分けた試合を昨日のことのように覚えています。アントニオ猪木は『闘魂』そのもので、永遠に歴史、そして我々の心に存在します。日本の全てのプロレスリングのファン、そしてすべての新しいプロレスリングのファンへ、どうかアントニオ猪木さんを決して忘れないでください。神様は永遠に見守っています。また会いましょう。アリガトウゴザイマス」 【タイガー・ジェット・シンのメッセージ】「こんにちは、日本のプロレスファンの皆さま。カナダにいますタイガー・ジェット・シンです。今日は皆様でレジェンドである猪木さんの功績をお祝いしましょう。神が彼の魂を見守ってくれますように。猪木さん! イチバーン! No.1 !」 【藤波の話】 ――お別れ会を終えての感想を? ▼藤波「時間が経って少しはさすがに10月とは気持ちが違いますけどね。でも今日いざ猪木さんを見上げた時にいろんなものがこみ上げてくるというかね。本来はもっともっと猪木さんの思い出を語りたかったし、もっと書き留めてきたかったんだけどね。たぶん僕の猪木さんの思い出だけで今日のお別れの会は2、3時間かかっちゃうんでやめましたけどね。それぐらい僕の人生そのものだしね。おかげで僕の人生をいいように変えていただいたし、自分も夢を見させてもらったし。今、自分が引退しないで現役というのも、今日の最後の言葉じゃないけど、リングにいれば猪木さんが来てくれるんじゃないかとかね。そういう思いで今日はしゃべらせてもらいましたけどね。大きな存在ですね、僕にとっては」 ――今日は一つの区切りになるが? ▼藤波「そうですね。自分の中でもね、常に心の中から離れることはないんだけど、やっぱり僕はまだやりたいことがいっぱいあるし、現役という部分でも自分の今この年齢じゃないと見れないプロレス界っていうのを見てみたいし。猪木さんに僕がいろんな部分で教えを乞うたことを若い選手にも押しつけじゃなくて、いい感じで猪木さんの言わんとすることを若い選手にも伝えてみたいなっていうのもあるしね。これが僕らの宿命みたいな感じがするし」 ――久しぶりに顔を合わせた人もいる? ▼藤波「これからこっちで二次会がありますけど、会えばみんな顔見知りの当時の若い頃がダブってきますけどね」 ――猪木さんが引き合わせてくれた? ▼藤波「猪木さんが常にいろんなしがらみがあっても、それを時折、力ずくでわからせてくれたりとか、ある部分では極力を意地を張ってみろとかね。ということもありましたしね。もうちょっと一緒にいたかったな」 ――プロレスファン以外にも猪木さんから元気をもらった人も多いと思うが? ▼藤波「そうでしょうね。僕が言わんとすることはファンの皆さんの気持ちも一緒でしょうね。本当にあの人は日本全国の猪木信者というのかプロレスファンに勇気を与えたというのか。自負してるんだけど、その筆頭がたぶん僕でしょう。僕自身が田舎にいて猪木さんと巡り会ってなかったら…自分で想像がつかない」 【棚橋の話】 ――お別れの会を終えて感想を? ▼棚橋「弔辞を読ませてもらう意味というのもよく考えまして、前日からね。いろんな選手、関係者がいる中で、なぜ僕なのかというところで。それだったらば、選手代表というか、会場に来てくれてる猪木さんのファン、猪木さんに元気をもらったみんなの代表としての感謝の気持ちを述べられたらいいなというのがあって。猪木さんの凄いところっていうのはデビューしてからしか僕は知らないですけど、ずっとアントニオ猪木のどの部分を切っても元気というか。全盛期は27歳前後といわれてますけど、日プロ時代、新日本プロレス時代。IGFもあって、晩年ご病気された時も常に猪木さんが発してくれるエネルギーにみんなエネルギーをもらって頑張れたという部分もあったと思うんで。本当に偉大すぎて追いかけるのが嫌になるというか、そのぐらいの人ですね」 ――これだけ大きなお別れ会もないが? ▼棚橋「日本全国、今日来れなかった方も猪木さんに対しての感謝の気持ちがあると思うしね。いやあ僕なんかが弔辞を読ませてもらったのも本当におこがましいと思ってたんですけど、思いの丈を伝えることができてよかったです」 ――猪木さんの名前から1字もらっていたと? ▼棚橋「そうなんですよ。僕もあんまり言ってないですけど、棚橋弘至の弘至は弘1文字でヒロシと読めるんですけど、あえて至って字が。猪木寛至の字と一緒で。ウチの父が猪木さんのファンだったということで1字いただいたんですけど、息子はまんまとプロレスラーになってますんで。導かれるようにしてね」 ――お父さんから子供の頃に聞かされた? ▼棚橋「全然です。大人になってからですね。『猪木さんの字と一緒なんだけど』『実は昔ファンでね』って。プロレスラーになってからですね。ウチの父ちゃん、グッジョブですね。名づけの名手ですね」 ――それを聞いてから背負う部分はあった? ▼棚橋「これから…猪木寛治でしょ。棚橋弘至でしょ。また名前に至って入ってる人が、第3の至が出てくるかもしれない」 ――今度は棚橋ファンのお父さんに名前をつけられた人がプロレスラーになるかもしれない。 ▼棚橋「猪木さんの字じゃなくて棚橋弘至の字が受け継がれる? それは楽しみ。でもそれだと猪木さんが薄れちゃうんで」
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『アントニオ猪木お別れの会』が7日、東京・両国国技館で行われ、関係者、ファン4800人が猪木さんに別れを告げた。藤波辰爾、棚橋弘至らが弔辞を述べ、オカダ・カズチカの音頭で「1、2、3、ダー!」を天国の猪木さんに捧げた。
昨年10月1日、“燃える闘魂"アントニオ猪木さんが心不全のため死去。79歳で生涯を閉じた。多くのプロレスファン、猪木ファンが大きな悲しみに暮れてから5ヵ月が経過。この日、お別れの会が執り行われた。会場は両国国技館。新日本初使用となった1985年4月18日のブルーザー・ブロディ戦を筆頭に、86年2月の藤原喜明戦、89年2月の長州力戦など猪木さんが多くの名勝負を残した国技の殿堂だ。
会場に集まったのは4800人。実弟・啓介氏ら親族、プロレス界からは発起人代表を務めた坂口征二新日本相談役を筆頭にとする新日本OB、各団体の選手らが多数列席。猪木さんとかかわりの深い政界、芸能界からも多くの関係者が駆けつけ、猪木さんに別れを告げようとたくさんのファンが集まった。
会場内には猪木さんの大きな遺影、リングが設置され、「闘魂」の金文字があしらわれた赤い供花による式段がかけられた。また、ステージ上には真紅の闘魂ガウンが展示された。お別れの会は2部制で、第1部では式典が行われた。VTRに「道」の詩が映し出されると、坂口相談役が開会を宣言。テーマ曲「炎のファイター」が流され、場内は大きな手拍子に包まれた。
猪木さんに捧げる追悼テンカウントゴングで幕を開けた。新日本旗揚げ戦、モハメド・アリ戦、巌流島決戦、引退試合など猪木さんの名勝負の数々が上映されると、森喜朗元内閣総理大臣、藤波、棚橋、古舘伊知郎アナウンサーが弔辞を述べた。
愛弟子・藤波は猪木さんとの出会い、新日本旗揚げ当時を回想すると、「技も髪型も洋服も全てのあなたの真似をしました。あなたに出会い、私の人生は大きく変わりました。共に練習をし、タッグを組み、時には戦いました。そのすべての瞬間が私の人生の財産です」と感謝の念を表した。自身は69歳となった今なお現役を続け、猪木さんから教わった闘魂を伝承していくことを宣言。「あなたは私の永遠の師匠であり、不滅のヒーローです。あなたにとって初めて許された休息の時。ゆっくりと安らかにお休みください。でも時々リングに会いに来てください。僕はいつでも帰りを待ってます」と天国の猪木さんにメッセージを送った。
棚橋は猪木さんのファンだった父が本名の猪木寛至から1文字を取って命名したことを明かし、「猪木さんがプロレスラーになって新日本プロレスを作られたからこそ、現在多くのレスラーがプロレスラーを目指し、僕たちもプロレスラーになりました。そして今日、この会場にも多くのファンの方が来てくれています。猪木さんが本当にプロレスラーになってくれたからこそです」と感謝。新日本をこれからも支えていく立場として「猪木さんが作られた新日本プロレスがますます盛り上がっていくように厳しい目で見ていてください」と話した。
かつて猪木さんと名勝負を繰り広げたドリー・ファンク・ジュニア、タイガー・ジェット・シンからのVTRメッセージが上映されると、弟・啓介氏が「アントニオ猪木をこのようにたくさんの皆様方に見送られて、心安らかに旅立っていけるのではないかと思います。最後に残した言葉、ありがとう。僭越でございますが、私からもありがとうの言葉で締めくくらせていただきたいと思います。皆さん、本当にありがとうございました」とあいさつ。最後にオカダ・カズチカの音頭で列席者が「1、2、3、ダー!」の叫びを天国の猪木さんに捧げた。両国国技館に惜別の猪木コールが発生した。
その後、献花が執り行われ、親族、発起人の面々、来賓代表の松山千春、巌流島、GLEAT、ストロングスタイル、全日本、大日本、DRAGONGATE、ZERO1、ノア、新日本の選手たちがリングに花を手向けた。14時から第二部として一般向けの献花が行われる。
☆『アントニオ猪木お別れの会』発起人
発起人代表 坂口征二(新日本プロレスリング株式会社相談役)
森喜朗(元内閣総理大臣)
野田佳彦(元内閣総理大臣 衆議院議員)
長浜博行(参議院副議長 参議院議員)
馬場伸幸(日本維新の会代表 衆議院議員)
玉木雄一郎(国民民主党代表 衆議院議員)
鈴木宗男(参議院懲罰委員長 参議院議員)
(下記五十音順)
石井和義(国際正道空手道連盟FIKA正道会館)
石橋保彦(株式会社平和相談役)
伊藤豊志雄(株式会社シーディーシー代表取締役社長)
伊藤直樹(IKGプロモーション株式会社代表取締役社長)
稲吉正樹(NOVAホールディングス株式会社代表取締役社長)
江本孟紀(野球評論家)
大塚直樹(株式会社タジマ代表取締役会長)
小川直也(小川道場代表)
亀田興毅(3150FIGHTファウンダー)
川村和弥(ショータイム代表)
川村龍夫(株式会社ケイダッシュ代表取締役会長)
木谷高明(株式会社ブシロード代表取締役社長)
グレート小鹿(大日本プロレス会長)
小島康江(株式会社創取締役会長)
榊原信行(株式会社ドリームファクトリーワールドワイド代表取締役社長)
坂口泰司(新日本プロモーション代表取締役社長)
佐々木健介(元プロレスラー)
佐山サトル(ストロングスタイルプロレス総監 初代タイガーマスク)
杉本英雄(株式会社焼肉坂井ホールディングス代表取締役会長)
関浩志(株式会社スーパーフォー代表取締役社長)
高島宗一郎(福岡市長)
高島英三郎(アントニオ猪木関西後援会)
高田延彦(高田道場代表)
竹田勝司(元ジャパンプロレス代表取締役)
竹村冬美(株式会社ディー・テック・プロモーション代表取締役社長)
田中敬子(力道山夫人)
田中誠(有限会社一二三企画)
長州力(元プロレスラー)
蝶野正洋(アリストトリスト有限会社代表取締役)
十枝利樹(オールジャパン・プロレスリング株式会社取締役)
富野敏成(有限会社共同企画)
長井力(株式会社ベストライフ代表取締役)
長岡末治(株式会社デリチュース相談役)
馳浩(石川県知事)
張本勲(野球評論家)
春次賢太朗(春次メディカルグループ理事長)
藤波辰爾(ドラディション代表)
藤原喜明(藤原組)
古舘伊知郎(フリーアナウンサー)
星野真二(新日企画)
北斗晶(株式会社健介オフィス代表取締役)
前田日明(リングスCEO)
松下剛(株式会社MTG代表取締役)
松浪健四郎(学校法人日本体育大学理事長)
丸藤正道(プロレスリング・ノア取締役副社長)
武藤敬司(プロレスリング・ノア)
森山幸則(NPO法人世界寛水流空手道理事長)
山本英俊(円谷フィールズホールディングス代表取締役社長CEO)
【藤波の弔辞】「初めてあなたに会ったのが16歳で、私は今69歳になりました。気がつけば53年の月日が流れました。田舎の少年がブラウン管に映し出されるあなたの勇姿に憧れを抱きました。アントニオ猪木になりたくて故郷の先輩・北沢(幹之)さんを頼りに入門して、その日から53年が経ちました。今も昨日のことのように思い出されます。あなたが日本プロレスから独立し、新日本プロレスを旗揚げした際、何一つ迷うことなくあなたについていきました。私の決断は間違っていなかったと心に信じてます。夜逃げ同然であなたのスーツケース5、6個を持ち、できたばかりの新日本プロレスの事務所に駆け込んだ夜、猪木さん、あなたを筆頭にたった6名での旗揚げだったですね。あなたの厳しさは山本小鉄さんや我々にも伝わり、まさに手作りの旗揚げでした。アントニオ猪木になりたい。本気でそう思いました。技も髪型も洋服も全てあなたの真似をしました。あなたに出会い、私の人生は大きく変わりました。共に練習をし、タッグを組み、時には戦いました。そのすべての瞬間が私の人生の財産です。一人のレスラーとしてあなたに勝ちたくて、超えたくて、大きな背中を追い続けてきました。1988年8月8日、横浜文化体育館でのあなたとのタイトルマッチは私にとってかけがえのない思い出です。あなたにベルトを巻いてもらったことがこの上ない喜びでした。様々な困難にもともに立ち向かいました。新日本プロレスの社長時代にはオーナーであるあなたに背を向けたこともありました。でもあなたを恨むことも嫌いになることもできませんでした。あなたが去ってから、心の喪失はまだまだ癒えることはありません。きっと自分の親よりも長く過ごしたあなたの存在をこの先もずっと忘れることはないでしょう。私はまだあなたに教えられた闘魂を胸に戦い続けています。あなたの教えを後輩たちにつないでいきます。最後になりますが、あなたは私の永遠の師匠であり、不滅のヒーローです。あなたにとって初めて許された休息の時。ゆっくりと安らかにお休みください。でも時々リングに会いに来てください。僕はいつでも帰りを待ってます。限りない感謝を込めて。2023年3月7日。藤波辰爾」
【棚橋の弔辞】「猪木さん、ありがとうございました。選手を代表して言わせていただきます。猪木さんがプロレスラーになって新日本プロレスを作られたからこそ、現在多くのレスラーがプロレスラーを目指し、僕たちもプロレスラーになりました。そして今日、この会場にも多くのファンの方が来てくれています。猪木さんが本当にプロレスラーになってくれたからこそです。猪木さん、ありがとうございました。そして猪木さん、凄く個人的なことなんですけども、ウチの父が猪木さんのファンで、猪木さんの本名・猪木寛至の至という字を僕は1字いただきました。そして結果、プロレスラーになりました。プロレスラーになれて本当に良かったです。最後になりますが、猪木さん、これからも猪木さんが作られた新日本プロレスがますます盛り上がっていくように厳しい目で見ていてください。よろしくお願いします。ありがとうございました」
【ドリー・ファンク・ジュニアのメッセージ】「こんにちは。ドリー・ファンク・ジュニアです。私の戦いの中で最も強い相手の一人、それは偉大なるアントニオ猪木です。大阪で60分間試合をして引き分けた試合を昨日のことのように覚えています。アントニオ猪木は『闘魂』そのもので、永遠に歴史、そして我々の心に存在します。日本の全てのプロレスリングのファン、そしてすべての新しいプロレスリングのファンへ、どうかアントニオ猪木さんを決して忘れないでください。神様は永遠に見守っています。また会いましょう。アリガトウゴザイマス」
【タイガー・ジェット・シンのメッセージ】「こんにちは、日本のプロレスファンの皆さま。カナダにいますタイガー・ジェット・シンです。今日は皆様でレジェンドである猪木さんの功績をお祝いしましょう。神が彼の魂を見守ってくれますように。猪木さん! イチバーン! No.1 !」
【藤波の話】
――お別れ会を終えての感想を?
▼藤波「時間が経って少しはさすがに10月とは気持ちが違いますけどね。でも今日いざ猪木さんを見上げた時にいろんなものがこみ上げてくるというかね。本来はもっともっと猪木さんの思い出を語りたかったし、もっと書き留めてきたかったんだけどね。たぶん僕の猪木さんの思い出だけで今日のお別れの会は2、3時間かかっちゃうんでやめましたけどね。それぐらい僕の人生そのものだしね。おかげで僕の人生をいいように変えていただいたし、自分も夢を見させてもらったし。今、自分が引退しないで現役というのも、今日の最後の言葉じゃないけど、リングにいれば猪木さんが来てくれるんじゃないかとかね。そういう思いで今日はしゃべらせてもらいましたけどね。大きな存在ですね、僕にとっては」
――今日は一つの区切りになるが?
▼藤波「そうですね。自分の中でもね、常に心の中から離れることはないんだけど、やっぱり僕はまだやりたいことがいっぱいあるし、現役という部分でも自分の今この年齢じゃないと見れないプロレス界っていうのを見てみたいし。猪木さんに僕がいろんな部分で教えを乞うたことを若い選手にも押しつけじゃなくて、いい感じで猪木さんの言わんとすることを若い選手にも伝えてみたいなっていうのもあるしね。これが僕らの宿命みたいな感じがするし」
――久しぶりに顔を合わせた人もいる?
▼藤波「これからこっちで二次会がありますけど、会えばみんな顔見知りの当時の若い頃がダブってきますけどね」
――猪木さんが引き合わせてくれた?
▼藤波「猪木さんが常にいろんなしがらみがあっても、それを時折、力ずくでわからせてくれたりとか、ある部分では極力を意地を張ってみろとかね。ということもありましたしね。もうちょっと一緒にいたかったな」
――プロレスファン以外にも猪木さんから元気をもらった人も多いと思うが?
▼藤波「そうでしょうね。僕が言わんとすることはファンの皆さんの気持ちも一緒でしょうね。本当にあの人は日本全国の猪木信者というのかプロレスファンに勇気を与えたというのか。自負してるんだけど、その筆頭がたぶん僕でしょう。僕自身が田舎にいて猪木さんと巡り会ってなかったら…自分で想像がつかない」
【棚橋の話】
――お別れの会を終えて感想を?
▼棚橋「弔辞を読ませてもらう意味というのもよく考えまして、前日からね。いろんな選手、関係者がいる中で、なぜ僕なのかというところで。それだったらば、選手代表というか、会場に来てくれてる猪木さんのファン、猪木さんに元気をもらったみんなの代表としての感謝の気持ちを述べられたらいいなというのがあって。猪木さんの凄いところっていうのはデビューしてからしか僕は知らないですけど、ずっとアントニオ猪木のどの部分を切っても元気というか。全盛期は27歳前後といわれてますけど、日プロ時代、新日本プロレス時代。IGFもあって、晩年ご病気された時も常に猪木さんが発してくれるエネルギーにみんなエネルギーをもらって頑張れたという部分もあったと思うんで。本当に偉大すぎて追いかけるのが嫌になるというか、そのぐらいの人ですね」
――これだけ大きなお別れ会もないが?
▼棚橋「日本全国、今日来れなかった方も猪木さんに対しての感謝の気持ちがあると思うしね。いやあ僕なんかが弔辞を読ませてもらったのも本当におこがましいと思ってたんですけど、思いの丈を伝えることができてよかったです」
――猪木さんの名前から1字もらっていたと?
▼棚橋「そうなんですよ。僕もあんまり言ってないですけど、棚橋弘至の弘至は弘1文字でヒロシと読めるんですけど、あえて至って字が。猪木寛至の字と一緒で。ウチの父が猪木さんのファンだったということで1字いただいたんですけど、息子はまんまとプロレスラーになってますんで。導かれるようにしてね」
――お父さんから子供の頃に聞かされた?
▼棚橋「全然です。大人になってからですね。『猪木さんの字と一緒なんだけど』『実は昔ファンでね』って。プロレスラーになってからですね。ウチの父ちゃん、グッジョブですね。名づけの名手ですね」
――それを聞いてから背負う部分はあった?
▼棚橋「これから…猪木寛治でしょ。棚橋弘至でしょ。また名前に至って入ってる人が、第3の至が出てくるかもしれない」
――今度は棚橋ファンのお父さんに名前をつけられた人がプロレスラーになるかもしれない。
▼棚橋「猪木さんの字じゃなくて棚橋弘至の字が受け継がれる? それは楽しみ。でもそれだと猪木さんが薄れちゃうんで」
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