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3/22【リアルジャパン】第1試合で長谷川と対戦 リアルジャパン提供・倉島3・24後楽園直前インタビュー(前編/写真あり)

 リアルジャパン提供の倉島信行3・24後楽園大会直前インタビューは以下の通り。

【倉島インタビュー】
――3・24後楽園大会がリアルジャパン初参戦になるが?

▼倉島「初参戦ですね。参戦の経緯は、(佐山サトル)総監の興義館に練習をさせてもらいに行ってて、おそらくそこで練習しているものからボクが求めているもの、ボクが追求しているものも含めて(自分の姿を)見ていただけたんじゃないかなと。それで今回につながったんだと思います」

――興義館で練習を始めたのは?

▼倉島「ここ半年くらいですかね。興義館では主にグラップリングの練習、総合(格闘技)の練習をしています。ボクは(試合では)蹴りとかあまりしないんですけども、そういったものも教えてもらったりして。自分ができなければ相手の技をよけることも受けることもできない。そういう面で凄く勉強させてもらっています。ボクが行く日はグラップリングの選手が多く集まりますね」

――参戦が発表された会見では誕生日間近の倉島選手にバースデーケーキがサプライズでプレゼントされ、すっかり溶け込んでいる印象を受けたが?

▼倉島「ホントに嬉しいですね。この歳になってケーキも何もないですけど、その気持ちが嬉しいですね。ここ何年もそんなことなかったですし。(練習)仲間かなってボクの中で思ってる人たちがそうしてくれるというのが一番うれしいですね」

――倉島選手は藤波辰爾主宰の無我で1996年にデビューしているが?

▼倉島「そうですね。96年の10月5日ですか。今年ちょうど20年ですね」

――当時、倉島選手、MAZADA選手、竹村豪氏選手と3人の若手がいて、現在ではそれぞれの活動という形になっています。

▼倉島「そうですね。竹村はもう引退してますからね。MAZADAはメキシコに行って肉づけをしてきた。自分に関しては、何も変わらないですけど」

――そこが倉島選手らしいところだが?

▼倉島「でもやっぱり年齢重ねていくことによって、なんて言うんだろう、少しずついろんなことに関しての考え方が変わってきているかもしれない。ボクが初めて藤波さんに出会ったのが今のボクの年齢の藤波さんで、ボクが22歳くらいの時。何ていうんでしょうね、藤波さんがあの当時始めた無我の気持ちがなんとなくわかったかなと思います。ホントにプロレスリングが好きだっていう。ボクは藤波さんのその思いを、藤波さんを見てきて、この世界に入って、それを追い続けてるからボクの試合は第1試合でいいですと。ある意味、ウチの団体(ドラディション)にとって門番でいたいなと、そういう気持ちは常に持っていますね」

――3・24後楽園大会も第1試合に出場するが、なぜそこまで第1試合にこだわる?

▼倉島「普通だったらどんどん上に行きたいというのがあるんでしょうけど、MAZADAなんかはメキシコに行って自分で肉付けして帰ってきた。竹村も新日本で、自分で肉付けした。ただボクはその根本の部分を極めたいというのかな、今その極めたいという気持ちが凄く強いですね」

――その気持ちは無我の時代から変わらないと?

▼倉島「そうですね。それをやっていけばやっていくほど難しい。武道と通じるようなものがありますね。精神的なものですかね。それがボクの中での無我」

――現在、倉島選手がある意味で唯一、無我を守っているのかもしれない。

▼倉島「ボクは自分の中ではそう思ってますけど。やっぱり肉付けして大きくなってほしいのは親心でしょうけど、ボクはそこをそのまま貫いていきたい」

――ベルトとかにも欲はない?

▼倉島「やる機会があれば。闘ってる人間ですからね、やりたいって気持ちは(ある)。ドラディションだったら別に第1試合にこだわらなくてもいいんでしょうけど、リアルジャパンだったら第1試合とか、何回も第1試合でボクの試合を見て、そしたら上に行きたいというのはありますからね。別に許されるのならば、第1試合でチャンピオンにチャレンジするとか」

――根本は第1試合で自分のスタイルを極めることにある?

▼倉島「そうですね。レスリング、プロレスを極める」

――第1試合からメインイベントというプロレスの興行において、第1試合の重要性というものを意識に置いている?

▼倉島「ボクはそれが一番。だから第1試合にこだわるんです」

――第1試合が興行の流れを作る?

▼倉島「そうですね。だからボクは昔と変わらない、怖い闘い。これが闘いであって、そういったものをやりたいですね。リアルジャパンには武道の匂いがするんです」

※後編に続きます

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