プロレス・格闘技の情報満載!全日本・ノア公式モバイルサイト

3/15【全日本】佐藤地元での2度目の戴冠で「ジュニアにもう一花咲かせる」、石井「このベルト手放すのは自分自身許せない」 4・28岡山・世界ジュニア戦会見

 全日本は15日、神奈川・横浜市の全日本事務所で会見を行い、4・28岡山大会の追加カードを発表。世界ジュニアヘビー級選手権試合「石井慧介vs佐藤光留」が正式に決まった。4度目の防衛戦となる王者・石井が「このベルトを手放すのが本当に自分自身、許せない」と対佐藤初勝利を誓えば、佐藤は「ジュニアに自分の力でもう一花咲かせたい」と地元・岡山での2度目の戴冠を描いた。

 佐藤は3・12後楽園大会で歴代世界ジュニア王者による6人タッグマッチに勝利。岩本煌史を下して3度目の防衛に成功した石井に地元・岡山での挑戦をアピールし、王者も受諾して正式に決まった。全日本の岡山大会でタイトルマッチが行われるのは90年4月9日、岡山武道館でタイガーマスク(三沢光晴)&小橋健太(現・建太)がダグ・ファーナス&ダニー・クロファットのカンナム・エクスプレスを破って第51代王者組となったアジアタッグ戦以来、実に27年ぶりとなる。

 昨年8月に第40代王者から陥落以来8ヶ月ぶり2度目の戴冠を狙う佐藤が挑戦の舞台に地元を選んだのは理由があった。少年時代の佐藤は岡山で「川田利明vsスタン・ハンセン」、「三沢光晴vs川田利明」といった好カードを目撃。「岡山を18で出てきてこっちに来て18年が経つんで、人生の半分をこっちで過ごしてますけど、やっぱり自分の中には岡山で生まれて岡山で育った人間というのは消えない」と郷土愛を抱く佐藤は、「全日本のタイトルマッチをもし自分が持って帰ることができたら、こんな夢の実現というのはないんじゃないか」、「また一歩、あの時見ていたプロレスラーに近づけるんじゃないか」との思いを抱いた。当時、自分が全日本のプロレスによって味わったのと同じような興奮と感動を今の岡山のファンに感じてもらいたいからだった。

 そしてチャンピオン・カーニバル期間中というのも佐藤の負けん気の強さを刺激する状況だ。シリーズ中はどうしてもリーグ戦に注目が集まるところだが、「全日本プロレスは今、ヘビー級が充実してるので、チャンピオン・カーニバルにジュニアの選手は基本的に出ません。これは負けていられない。やっぱり負けるのは何をとっても嫌なんで」と対抗意識を燃やす佐藤は、「こんだけいろんなプロレスがある中で正々堂々、俺はジュニアだ、こっちがヘビーだってあるところって全日本だけだと思うんですよね。そこを守ってるところのジュニアヘビーということで意味があると思うんで。そのジュニアに自分の力でもう一花咲かせたい」と春の祭典に負けない戦いを繰り広げたうえで世界ジュニア2度目の戴冠を成し遂げるつもりだ。

 対する王者・石井は4度目の防衛戦。佐藤とは2012年5月13日、DDT大阪大会でシングル対決し、12分56秒、クロスヒールホールドで敗れている。「組んでたこともありますし、勝ったことがありません。常に意識している選手の一人」という石井にとって、佐藤の挑戦表明を断る理由は何一つなかった。「組んでも戦っても強さっていうのはわかってますし、僕も佐藤光留さん、超えなきゃいけない壁だと思ってる」と言い切り、対佐藤初勝利によるV4を見据えている。

 昨年11月の初戴冠から4ヶ月が経過。もともとあった世界ジュニアへの思い入れは防衛を重ねるごとに増すばかり。憧れのベルトを手にしたことで「自信にもつながるし、愛着も凄く沸いていて。あとは世界ジュニア王者としての自覚とか誇りとかはもちろん持ってる」と自分自身の成長にもつながっている。だからこそ、「世界ジュニア絶対に手放したくない」とキッパリ。「今、本当に充実してるんで、このベルトを手放すのが本当に自分自身、許せないんで、必死になって守りたい」とまで言い切り、ベルト死守を誓っていた。

☆4/28(金)岡山県卸センター オレンジホール『2017チャンピオン・カーニバル〜旗揚げ45周年記念シリーズ〜』18:30開始

▼世界ジュニアヘビー級選手権試合
[挑戦者]
佐藤光留
(1/60)
石井慧介
[第42代王者]
※石井4度目の防衛戦

[既報カード]
▼「2017チャンピオン・カーニバル」Aブロック公式戦
崔領二
(1/30)
宮原健斗

▼「2017チャンピオン・カーニバル」Aブロック公式戦
KAI
(1/30)
ジョー・ドーリング

▼「2017チャンピオン・カーニバル」Bブロック公式戦
ボディガー
(1/30)
野村直矢


【会見の模様】
▼佐藤「昨年のDDTの両国大会で高尾選手に敗れまして、世界ジュニアを失いました。今か今かと挑戦の機会をうかがっていたんですが、そうしてる間にアジアタッグも失い、もう一つ持っていた東京インターコンチネンタルタッグも失い、手を挙げにくい雰囲気になって過ごしておりました。ただ、その中でも自分なりに経験を積んで、佐藤光留にしか積めない経験を積んで備えていたつもりです。先日の世界ジュニア、歴代王者だけの6人タッグで渕さんから勝利することができまして、同タイミングで石井さんと岩本君の試合があったんで、勝者に俺だと思って手を挙げさせていただきました。本当に紙一重の勝負だったと思います。石井選手が勝ちまして、次の挑戦と言った時、ぱっと思い浮かんだのが4月28日、岡山大会でした。4月28日、岡山大会、毎年毎年、オレンジホールは最後と言ってるんですが、今年3年目になりますが、振り返ったら岡山で自分が子供の頃、試合を見てる時っていうのはチャンピオン・カーニバルと最強タッグは来てたけど、タイトルマッチは全日本で一度も見たことなかった。全日本プロレスは今、ヘビー級が充実してるので、チャンピオン・カーニバルにジュニアの選手は基本的に出ません。これは負けていられない。やっぱり負けるのは何をとっても嫌なんで、一発ここでぶち込んでやろうと思って言いにいきました。断られてもそれはしょうがない、その時はその時だと思ったんですが、いつの間にか石井選手がチャンピオンとしてたくましく成長されていて、目を見た瞬間にどこでもいい、いつでもこいという目をしてたんで、非常にうれしく思います。感謝もしてます。ただ試合は試合なんで、もう今から始まってますので。どんなに石井選手が頑張っても僕に追いつく経験値というのは得られませんから。それだけが僕の武器ですから、一生懸命頑張って岡山でチャンピオンになりたいと思います」

▼石井「佐藤光留さんがきたら断る理由はありません。過去、シングルでもタッグでも勝ったことがありませんし、2009年11月3日から2010年12月1日にかけて同じユニットにいたこともありますし、一緒にUWA世界6人タッグというベルトを巻いたこともあります。組んでも戦っても強さっていうのはわかってますし、僕も佐藤光留さん、超えなきゃいけない壁だと思ってるんで。そして世界ジュニア絶対に手放したくないですね。今、本当に充実してるんで、このベルトを手放すのが本当に自分自身、許せないんで、必死になって守りたいと思います」

――佐藤選手にシングルで敗れているというのはいつ?

▼石井「2012年5月13日、大阪ムーブオンアリーナでシングルマッチやってるんですけど、12分56秒、クロスヒールホールドで敗れました。僕自身、まだ若手の一人に過ぎなかったんですけど、凄く印象に残っている、思い出に残っている試合のひとつです」

――石井選手にとって佐藤選手は特別な存在?

▼石井「はい、組んでたこともありますし、勝ったことがありません。常に意識している選手の一人ではあります」

――岡山での挑戦を表明したのは地元でベルトを獲りたい思いも強いから?

▼佐藤「岡山っていう地は昔からプロレスには非常に恵まれてる所だと思うんです。僕が初めてプロレスを観に行ったのが1991年、ちょうど岡山の最後のタイトルマッチ、カンナム・エクスプレスvs2代目タイガーマスク&小橋健太のアジアタッグが行われた翌年の4月だったんですけど、僕がまだ10歳になった時に観に行って、その第1試合で井上雅央さんがデビューしたんですけど、その日も小橋健太vsダイナマイト・キッドがあって、最強タッグも僕の大好きなカンナム・エクスプレスvs川田さんと田上さん。いつぞやはハンセン選手に初めて川田さんが勝った場所も岡山ですよ。で、三沢さんと川田さんのシングルマッチも目の前で見ましたし、そういう意味では非常に恵まれた場所ではあったんですけど、岡山出身のプロレスラーで地元愛を前面に出す人っていなかったんです。今は昔と違って東京に出てこなくても地方にいろんなプロレス団体があって、プロレスをやるということに関していえばいろいろできることがある。他の仕事も地方に住んでてもできるような、通信とかいろんなものが発達したんですけど、自分がプロレスラーになる時は東京、横浜、関東にに出てこないとプロレスラーになれなかった世代の最後の方の人間なんで。実は岡山を18で出てきてこっちに来て18年が経つんで。人生の半分をこっちで過ごしてますけど、やっぱり自分の中には岡山で生まれて岡山で育った人間というのは消えないですね。もちろん岡山に何度も帰って試合をしたことはあるんですけど、全日本のタイトルマッチをもし自分が持って帰ることができたら、こんな夢の実現というのはないんじゃないかなと思いましたね。また一歩、あの時見ていたプロレスラーに近づけるんじゃないかなと。その時の対戦相手が石井選手で僕は光栄です、本当に」

――おそらく地元の佐藤選手に声援が集中し、アウェーになる可能性が高いが?

▼石井「僕も地元に近いところで去年の1月23日にアジアタッグ選手権やらせてもらいましたけど、確かに声援というのは力になります。ただアウェーでも僕は全然気にするところはないですし。あとはアウェーといっても僕を応援してくれる人も岡山に来てくれると思ってますので、そこは気にしてません」

――高尾選手にベルトを奪われて以来、DDT勢で世界ジュニアが移動してきた状況をどのようにみてきた?

▼佐藤「全日本にベルトを取り返すと岩本君が前回言ってましたけど、自分、全日本の人間じゃないんで、自分が青木さんから初めて世界ジュニア獲った時も流出といえば流出だったんですけど、もうここまできたら所属の名前がついたばかりの選手よりも、へたしたら全日本を構成する一人だと思ってるんですね。今まで僕が全日本プロレスに上がってから、いい時も悪い時も…どっちかと言うと悪い時の方が多かった。でも今凄くいい風が吹いてる状況で、ひとつジュニアでも。こんだけいろんなプロレスがある中で正々堂々、俺はジュニアだ、こっちがヘビーだってあるところって全日本だけだと思うんですよね。そこを守ってるところのジュニアヘビーということで意味があると思うんで。そのジュニアに自分の力でもう一花咲かせたいなと。ジュニアリーグの前に青木さんが今のチャンピオンが何を発信してるかわからないとかいろいろ言ってたんで、僕も近い感想を持ってたんですけど、前回3月12日の後楽園ホールのリングで向かい合った石井選手の目は今思い出しても鳥肌が立つような目をしてました。僕が知ってる石井ちゃんじゃなかったですね。チャンピオン・石井慧介だったんで。意地とプライドさらけ出して、思い切りぶつけて。僕ら体格はないけど、ハートはあると思ってますから。岡山で燃えていきたいですね」

――岡山での挑戦を表明したことで地元からの反響はあった?

▼佐藤「ありました。ちょうど実は後楽園大会の前に鼠先輩が岡山出身なんですよ。鼠先輩と初めて会いまして、引き合わせてくれた人がいて、その食事会、ちょっといやらしい飲み屋でしたけど、そこに来た岡山の人がよく話をしてみたら誕生日が1ヶ月違いの同級生。僕がオープンスクールという中学3年生の時に行くやつですね。あれでいったところに進学した人なんですよ。まさかそんなところで岡山の人と、同級生と会うと思わなくて、『明日、後楽園で試合なんです』って言ったら観に来てくれて、目の前で岡山で挑戦すると。向こうはあんまり詳しいことわからないから、これは決定なんだと大興奮して。今までプロレスに触れてこなかった人たちも岡山っていう共通項を持ってプロレスを観に来てくれて、岡山にもこんな人がいるんだというのもひとつ、岡山を燃えさせる理由だと思うんで。最近、イオンができたんですよ。岡山といったら、今イオンのことしかみんな話さないんで、そこにぶち込みたいですね」

――防衛を重ねてきたことで世界ジュニアへの愛着は相当強くなっている?

▼石井「愛着ももちろん自信もどんどん出てくるんで。僕は5歳の時からテレビで見てきたベルトで、思い入れは他の選手に負けてないと思ってるんで。手放したくないですし、このベルトを持ってると自信にもつながるし、愛着も凄く沸いていて。あとは世界ジュニア王者としての自覚とか誇りとかはもちろん持ってるんで、岡山の人にも世界ジュニアチャンピオンをアピールできればなと思ってます」

――佐藤選手に初勝利できれば世界ジュニアとしてさらに大きくなれるのでは?

▼石井「そうですね。勝てばより大きくなれると思ってます。超えたいと思います」

プロ格 情報局