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11/1【大仁田興行】還暦引退から一夜 大仁田が12・3新木場大会『大仁田反省会』の開催とレフェリーデビューを発表

 10・31後楽園大会で引退した大仁田厚が一夜明けた1日、東京・水道橋の闘道館で会見。復帰を改めて完全否定した邪道は12・3新木場大会『大仁田反省会』の開催とレフェリーデビューを発表した。

 大仁田引退興行・後楽園大会は2000人(超満員札止め)を動員する大盛況。還暦を迎えたばかりの大仁田は思い出がつまったプロレスの聖地で7度目の引退を果たし、リングに別れを告げた。

 一夜明けたこの日、会見した大仁田は「自分が真っ白けなんですよ。真っ白けの画用紙みたいな。そこからどう字を書いていくか、どう絵を描いていくかによって人生って変わるんじゃないですか。無色透明ですから。60歳にして無色透明ですよ。素晴らしい人生じゃないですか」と今の心境を語り、「全部自分の中の思い出として、今日の今日から吹っ切って、また新しい人生を歩いていこうかなと思ってます」とこれからを見据えた。ささやかれている復帰説についても言及し、「七転び八起きという言葉があるんですけど、今回に限ってはプロレスラーとして、もう二度とリングに上がることは絶対にありません」と強調。改めて復帰を完全否定した。

 だが、「片隅の方でリングのにおいを感じていたい」との思いは強く、これからも何らかの形でプロレス界に携わっていくつもりだ。その一環として12・3新木場大会『大仁田反省会』の開催を決めた。当日は映像を上映しながら10・31引退試合を振り返り、大仁田プロデュース試合も行われる予定だ。

 そして大仁田は当日、レフェリーデビューを果たす。これを復帰のきっかけとするつもりは毛頭なく、今まで体験していないことに挑戦してみたいという純粋な気持ちからだ。阿部四郎(故人)ばりの悪徳レフェリー化を描いた大仁田は、「反則とかした奴は有刺鉄線バットで殴ろうかなと。そういうレフェリーがいてもいいんじゃないですか」と示唆。前代未聞の凶器持参レフェリーが誕生することになるかもしれない。

 「人生はわからないから面白い」。波乱万丈のレスラー人生を歩んできた邪道・大仁田。だからこそ引退後の動向も目が離せそうにない。

☆12/3(日)東京・新木場1stRING『大仁田反省会』16:30開場、17:00開始

【会見の模様】※抜粋
▼大仁田「人間、不思議なもんで、大会が終わった時、イベントが終わった時、反省して、これでよかったのかと思いつつ、また次の人生を歩むんでしょうけど。また引退撤回してまた帰ってくるんじゃないかと言われつつ、各社から花束や写真をもらった時、その写真の一幕一幕が全部思い出なんですね。どんどん涙が出てきて…馬場さんがこの時いたなとか、ノースカロライナでNWAのインターナショナルジュニアを獲った時だなとか、いろんなことを考えて、人間、日々、反省だなって感じで。プロレスファンと離れるのが何か寂しくなって(苦笑) いやぁ何を言われるかわかんないですけど、後ろにあるとおり『大仁田反省会』という、これを12月3日にやろうかなと思いまして。40数年間の歴史を振り返り、そしてまたファイナルの試合および実際リングに上がった時、どういう気持ちだったのか。また藤田選手と当たった時にどんな感じだったのか、そしてカシン選手という存在の不思議さ、それからまた論外という…どうしてもヒールだ、ベビーフェースだって区分けするじゃないですか。それを超越したハートの部分でつながってる盟友。そういった集大成の中で、一番のアレは猪木さんの遺伝子である藤田選手、それと遭遇して触れ合ったのが一番ですね。まぁ心残りはたくさんありますが、これは全部自分の中の思い出として、今日の今日から吹っ切って、また新しい人生を歩いていこうかなと思ってます。そして僕、あまりレフェリーってやったことないんですけど、試合でレフェリーをやってみようかなと思いまして。人を裁く立場ではないんですけど、自分が裁かれる立場なんですけど。反省するところは反省しよう。大仁田厚は日々、反省しよう。僕、昨日の12時から人が変わったんですよ。人間変わりまして、日々、反省しようとなりまして。大仁田厚プロデュースなんてどうでもいいんですけど、40数年間を振り返って、いろんなことを語り、まだゲストとかいろんなことが決まってませんので。すいません、大仁田反省会というと有吉のパクったなと思われますよね? はい、パクりました。だけどちゃんと制作本部長の荻野…片岡鶴太郎の弟は俺の親友だから。それから太田プロの社長は昨日の会場に来てましたからね。ということはある種、承認されたと。公認なんです。黙認かな(笑) すいません、11月3日はありませんから。俺もそんなワルじゃないですから。1年後には、半年後には帰ってきてるだろう? それもありませんから。でもどんな道を歩こうとも、人の人生だと思うんですよ。己自身が決めることだから。二つ道があるとしたら右に行ったら奈落の底に落ちるってなっても自分の決断じゃないですか。僕はそう思うんですよ。そういった部分では憶測というのは広がるかもしれないけど、自分の中で限りなくあなた方と一生懸命、今後もプロレスしていこうかなって。マスコミの人たち、これで終わりかといったら、カムバックじゃないよ。もしかしたらアンドレ・ザ・ジャイアントみたいなの連れてきて、『オイ! 新日本プロレス戦えよ!』ってやるかもしれない。ねぇ、わかんないじゃないですか、こればっかりは。ある意味、考えたら、人生はわからないから面白い。これわかっちゃったら面白くないんですよ。答えが先に出てたら面白くないんですよ。2+2=4ってわかってるんですよ、みんな。でもそれが5になったり、もしかしたら10になったりするかもしれない。だから人生は面白いって僕は思うんですよ」

――レフェリーをやろうと思った理由は?

▼大仁田「自分が裁かれるだけで、人を裁いたことないですから。自分がフォールされて1、2、3と叩かれたことは何回もありますけど、自分自身が1、2、3ってマットを叩いたことが一回もありませんので。それが阿部四郎さんのように高速なのか低速なのか、よくわかりませんが、どちらかといえば悪役レフェリーをやってみようかなって。悪役レフェリーデビューです」

――やったことがないからやりたいと?

▼大仁田「だってやったことないこと、みんな恐れるんですよ。自分の人生の中でこれをやったことない、あれをやったことないって恐れるんですよ。恐れることなくやったっていいじゃないですか。世の中に100やったことないことがあったとすればですよ、試すのは自由じゃないですか。リングの中に上がるなって、レフェリーやるわけですから。あくまでも人を裁いて3カウントを叩く、それが目標です」

――裁きに従わない選手はしばく?

▼大仁田「クエスチョンだからありうるでしょうね。反則とかした奴は有刺鉄線バットで殴ろうかなと。そういうレフェリーがいてもいいんじゃないですか」

――ジャパン女子のコーチ時代に復帰した前科もあるが?

▼大仁田「前科は認めますし、アレなんですけど、隅っこの方で、片隅の方でリングのにおいを感じていたいってあるじゃないですか。そういったところかな」

――復帰して抗争に発展することは?

▼大仁田「それはないだろう。早すぎるだろう、いくらなんでも。それはやっちゃいかん。僕は邪道と呼ばれてますけど、人間の道理ぐらいはわかってますから。史上初の有刺鉄線(バット)を持ったレフェリーというのもありかなと。反則は許さないみたいな。これは俺のリングだ! 反則は許さない! そういうレフェリーがいてもいいのかなって僕は思いますね。ルールを守り、反則をしないようにするという」

――今日から肩書きは?

▼大仁田「素人。何が素人だバカヤロー。何だ? 無職。どうかな。だから今よくわかるよ、無職の気持ちが。だから無色なんですよ。自分が真っ白けなんですよ。真っ白けの画用紙みたいな。そこからどう字を書いていくか、どう絵を描いていくかによって人生って変わるんじゃないですか。無色透明ですから。60歳にして無色透明ですよ。素晴らしい人生じゃないですか。今からどんな絵を描いていくか、大仁田厚がどう生きていくか。だって申し訳ないですけど、昨日300人ぐらいきたかな、グッズ買いに。『いつ戻ってくるんですか?』そういう話ばっかりですよ。今日引退するんだから。試合前、『すいません、帰ってきて下さい』ってバカヤロー、まだ引退試合してねぇんだからって。ヒザの具合が悪いので、もしかしたら手術になる可能性もあります。医学的なことだから、どういうふうな手術になるかまだわからない。カパっと取って人工(関節)を入れるかもしれない。歯医者も行かないといけない。藤田のエルボー食らって。場外行った時、バーンって折りやがって」

――ヒザは検査次第で手術すると?

▼大仁田「20何年間、コイル入れて釘が入ってるわけですから。それを耐えてきたからこっち(右ヒザ)も悪いし。だから片方のヒザをやるのか、それとも両ヒザ入れるのか。明日カムバックできるわけねぇよ。11月3日、出れるわけないよ(笑) 七転び八起きという言葉があるんですけど、今回に限ってはプロレスラーとして、もう二度とリングに上がることは絶対にありません」