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6/21【NOAH】ベイダーさん追悼セレモニー 丸藤「来日外国人レスラーにとって最高のお手本となった人」

『Navig. with Emerald Spirits 2018』エディオンアリーナ大阪第2競技場(2018年6月21日)

 米国現地時間18日に63歳で亡くなった“皇帝戦士"ビッグバン・ベイダー(本名レオン・ホワイト)さんの追悼セレモニーが21日、ノアの大阪大会試合前にも行われた。

 ベイダーさんは旗揚げ当時のノアに参戦。初のビッグマッチとなった2000年12月23日の有明コロシアム大会では故・三沢光晴さんとのスペシャルシングルマッチで熱闘を繰り広げ、その後は秋山準の持つGHCヘビー級王座にも挑戦。タッグ戦線ではスコーピオとのコンビで初代GHCタッグ王座に就くなど、ノアとも深い関わりを持っていた。

 追悼セレモニーではこの日の出場選手がリング周辺に集合。対戦経験のある丸藤正道が遺影を持つなか、10カウントの弔鐘(ちょうしょう)が捧げられた。

 ベイダーさんの訃報に際して丸藤は「昔、京都で初めてヒザのじん帯を切って試合ができなくなった時、救急車で運ばれる前まで、バックステージでずっとそばにいてくれた。『すぐ戻ってこられるから大丈夫だ』って」と故人をしのび、「日本に来ている外国人選手にとっては、最高のお手本になる外国人レスラーなんじゃないですかね。これだけ多くの団体ですべてトップを獲ってるワケでしょ? どうあれば自分がそのリングに必要とされるか。それを自分で良く分かってるからこそ、だと思うから。本当に謹んでご冥福をお祈りさせていただきます」と話した。

【丸藤の話】
――ベイダーさんの訃報に接して?

▼丸藤「自分のなかでは“強いベイダーさん"というイメージしかないので…。お会いしなくなってからだいぶ経ちますけど、まだ63歳…それに亡くなった6月18日は三沢さんの誕生日。寂しいですね。“たられば"になってしまうけど、日本にも何度か来られていたのは知っていたので、会っておきたかったな…って思います」

――思い出深いことは?

▼丸藤「昔、京都で初めてヒザのじん帯を切って試合ができなくなった時、救急車で運ばれる前まで、バックステージでずっとそばにいてくれた。『すぐ戻ってこられるから大丈夫だ』って。あとはよく洗濯を頼まれましたね。布袋にパンパンに詰めたベイダーさんの衣類を託されましたね。その量といったら、それこそサンドバックみたいだった」

――学んだことや影響を受けたことは?

▼丸藤「プロレス的な部分でいえば、あの頃分からなかった部分が、今あの人を見るとよく分かるというか。プロとしての部分で。自己プロデュース能力もすごいと思うし。何より、日本に来ている外国人選手にとっては、最高のお手本になる外国人レスラーなんじゃないですかね。これだけ多くの団体ですべてトップを獲ってるワケでしょ? どうあれば自分がそのリングに必要とされるか。それを自分で良く分かってるからこそ、だと思うから。本当に謹んでご冥福をお祈りさせていただきます」

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