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2/19【G馬場追善興行】終生ライバル・猪木はオープニングに登場 「ダー!」で幕開け

『ジャイアント馬場没20年追善興行〜王者の魂〜アブドーラ・ザ・ブッチャー引退記念〜さらば呪術師〜』東京・両国国技館(2019年2月19日)

 “燃える闘魂"アントニオ猪木が『ジャイアント馬場没20年追善興行』のオープニングに登場。天国にいる永遠のライバル・馬場さんに「1、2、3、ダー!」を捧げた。

 猪木は故・馬場さんと日本プロレスに同期入門し、1960年9月30日に同日デビュー。師匠・力道山亡き後、馬場さんとの“BI砲"で第2次プロレスブームを巻き起こした。その後、ともに独立し、新日本、全日本を旗揚げ。長らく対立関係にあったものの、79年8月26日、日本武道館で開催された『プロレス夢のオールスター戦』でBI砲を復活させてファンを喜ばせた。

 テーマ曲[炎のファイター」と大・猪木コールの中、スーツに赤いマフラー姿で登場した猪木はリングには上がらなかったものの、「元気ですかぁ!」と叫ぶと、「元気があれば何でもできる。元気があれば送り人もできるということで、馬場さんも20年ですかね。だいたい20年経つと忘れられてしまうんですが、たくさんの方がお越しくださってありがとうございます。ジャイアント馬場に成り代わってお礼申し上げます」と大観衆に感謝。「入院した時、ホテルのロビーで顔を合わせるんですが、立ち話をした時に、『お前はいいなぁ』と言われました。何がいいのかわかりませんがね。私が挑戦し続けたんで、馬場さんも困っただろうなと思います。最後に来た手紙が三途の川で待ってると。挑戦を受けるかどうか、逆に私が困りましたけどね」と馬場さんとのエピソードを披露すると、「私もそろそろ送られ人になりそうかなと。その時はせめて10年ぐらい経っても覚えていてもらいたい」と続け、「若い選手が控室にあいさつに来てくれましたが、プロレス、格闘技は永遠だと思いますので、形は変われど50年、100年、その先何百年も続くと思います。伝統というかスピリットを伝えていってもらいたいと思います」とメッセージを送ると、「1、2、3、ダー!」の叫びで大会の幕開けを告げた。

【猪木の話】
――馬場追善興行であいさつをした今の気持ちは?

▼猪木「あんまりね、説明を聞いてなかったんで。まあ、それはいいとして、本当に会場がいっぱいになるということがね。我々はリングの戦いもさることながら、会場にお客さんに足を運んでもらうというのも1つの実生活だったんでね。そうい意味では、今日は大勢の人が駆けつけてくれて。そういう若い選手たちが大会場で熱狂させるっていう。それも快感ですから。来てよかったと思ってます」

――馬場さんのイベントに猪木さんが来ること自体に大きな意味があったと思うが?

▼猪木「まあまあ、皆さんに乗っけられた部分もあってね(笑) 喜んでもらうことはいいことだと。そういう風に割り切って。馬場さんも喜んでくれてるんじゃないでしょうかね」

――これから試合が始まるが、今日出場する若い選手にどんなメッセージを送りたい?

▼猪木「まあ、いろんなことを言っても難しいんでね。時代が変わり、政治の世界も同じなんですけど、その時代時代に変わっていくから。そういう意味では、1つの歴史というのかな。その歴史にも興味を持って、ちょっと紐解いてもらうと、『そういう歴史があって今日がある』と。それがわかってくれたらいいと思います」

――馬場さんとのエピソードで、ホテルで会った時に「お前がいいな」と言われたと。馬場さんは何がいいと、羨ましがったんだと思う?

▼猪木「やっぱりプロレスに入って、今までは胸を張ることが、逆に小さくなってみたいなね。プロレスをやってたら、もっと大きく見せろと。アメリカで高下駄をはいてね。そういう意味では、自分のジャイアント馬場の本来の持ち味を表現できて。そういう中では、俺は好きなこと言い放題で…言い放題というよりは、そのままにあれして、随分ジャイアント馬場なりの俺から見えない、心に秘めて隠してた部分があったと。そういうので羨ましい部分があったのかなと」

――明日は誕生日だが、新しい1年に向かっては?

▼猪木「政治がちょっといろいろあれしてるんで。あとはずっとやってきた北朝鮮問題もいよいよ本当にこのままではしょうがないなというんで、今週か来週あたりにちょっといろんなニュースが流れてきているみたいですから」

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