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1/7【新日本】中西が2・22後楽園で引退、「熱いものを全部使い切ってレスラー人生全うしたい」

 中西学が7日、東京・目黒の新日本事務所で会見し、現役引退を発表。2・22後楽園大会で引退記念興行が決まった野人は「今、自分の中にある熱いものを2020年2月22日まで全部使い切って、思い切り引退の日までダッシュして見事にレスラー人生を全うしたい」と完全燃焼を誓った。

 専修大学レスリング部出身の中西は92年のバルセロナ五輪日本代表の肩書を引っ提げて新日本に入団。同年10月にタッグリーグ戦出場という破格の扱いでデビューした。伸び悩んだ時期もあったが、IWGPタッグ王座を3度獲得し、2009年5月にはデビュー16年7ヵ月にしてIWGPヘビー級王座初戴冠も果たした。

 そんな野人が今年2月、27年4ヵ月のレスラー人生に終止符を打つ。最近は首の故障の影響もあって、「昔の動きができない、そういうホントに時期がずっとあった」と悩んできた中西は、昨年暮れから会社側と相談し、「こういう状況でプロレス続けてるのもプロレスに対して、自分が好きだったプロレスにそういうことしてはいけない」と潔くリングを去る決意を固めた。

 ラストマッチの舞台となる引退記念大会が2・22後楽園で開催されることも決まった。「ハッキリ言って誰とでもやりたいですよ。どんな相手ともやりたい」と言い切った中西。中でも同志といえる第三世代の天山広吉、小島聡、永田裕志は特別な存在で、「あと残された試合が何試合あるかわからないけど、全ての試合にこの3人にはホントに協力してほしいですし、一緒に戦いたいし、逆に対戦もしたい」と熱望した。

 残された現役期間は約1ヵ月半。中西は「今、自分の中にある熱いものをホントに2020年2月22日まで全部使い切って、思い切り引退の日までダッシュして見事にレスラー人生を全うしたい」と完全燃焼を誓った。会見中は目に涙も浮かんだが、終了後の写真撮影ではリング上と同じく「ホー!」と元気よく野人の雄たけびを上げた。「新日本プロレスが今自分に対して組んでくれる。それは最高の試合になるはずです。そうしたいですし。そのためにすべてを集中させて、2月22日まで突っ走っていきたい」と言い切った中西はファイトスタイル同様に引退まで猪突猛進で突き進む。

☆2/22(土)東京・後楽園ホール『中西学 引退記念大会』17:30開場、18:30開始


【会見の模様】
▼中西「2020年2月22日、後楽園ホールで引退をいたします。首のケガが原因で、思うような戦い方ができなくて、それでズルズルこの状態を続けているよりも、しっかりケジメをつけて。いつまでも昔あんなことができたっていうよりも、今残っている、今、自分の中にある熱いものを2020年2月22日まで本当に全部使い切って、思い切り引退の日までダッシュして、見事にレスラー人生を全うしたいと思います。自分からは以上です」

――最後に戦いたい選手、引退までに戦いたい選手は?

▼中西「ハッキリ言って今すぐにでも戦いたいというか、誰とでもやりたいですよ。どんな相手ともやりたいし。ただ、この時期、年明けてから、しかもかなり無理を言ってます。1月いっぱいでみんな今年の契約が終わるじゃないですか。その延長でやるわけじゃないですか。そういうこともありますので、誰と戦いたいというよりも、まず新日本プロレスが用意してくれる、その試合をやりたい。新日本プロレスがやっぱり最強だと思って、自分もそうなりたくて、新日本プロレスに入団しましたから。その新日本プロレスが今、自分に対して組んでくれる。それは最高の試合になるはずです。そうしたいですし。そのためにすべてを集中させて、2月22日まで突っ走っていきたいです」

――引退を決意した時期は?

▼中西「昔の動きができない、そういう時期がずっとあったんで、気持ちの中でこれはどうすることもできんのかと。去年の暮れぐらいから会社とも話して、今回にいたったわけですね。ケガをして回復してきたのは驚異的な回復だったんですけど、その次にいけなかったっていうのが自分の責任でもありますけど、自分がもっといきたいんだけど、いけないっていうところがあって、これは責任とるしかないなって。こういう状況でプロレス続けてるのもプロレスに対して、自分が好きだったプロレスにそういうことしてはいけないなと思います」

――同じ第三世代の永田、天山、小島に言うことがあるとすれば?

▼中西「言うことがあるんやったら、ホントにあと残された試合が何試合あるかはっきりわからないんですけど、全ての試合にこの3人にはホントに協力してほしいですし、一緒に戦いたいし、逆に対戦もしたいし。まぁ、引退の時やって計算してみて、27年と4ヵ月なのかな。ずっとそばにいたこの3人ですから。だから思い入れもそうですし、肌で感じてるものがありますから。それを感じながら最後を全うしたいですね」

――思い出に残っている試合は?

▼中西「いやぁ、やっぱり、この3人それぞれの戦ったシングル戦ですよね。ホントに数限りなくやってるし、若い時やってるし。それとアメリカから修行から帰ってきた時も当たってますし、どの試合もやっぱり、その時のベストを出してるというか、その時の意地を出してやってましたよ。みんなそれぞれ得意なとこがあって苦手なものもあるけど、やっぱり何を向こうに出されてきても負けたない。負けてしまうんやけどね、苦手なものやったら。そやけどチャンスがあれば自分の得意な方に持っていくっていう。そういう戦いをずっとしてきたし、負けたくないけど、逆に自分もそうやし、彼らがふがいない試合とかすると凄く悔しい思いもしますよね。俺が試合やったら絶対こんなんさせんへんけどなとか。逆に永田も天山さんも小島さんもそういう気持ちがあったんじゃないですかね。とにかく協力してくれるとは思うんですけど、こっちからもお願いして、どんどん絡んでいくというか、そういうふうにしていきたいですね」

――現時点で引退後のビジョンは?

▼中西「会社と話をさせてもらって今後決めていこうと思ってますので。現時点で具体的なことははっきりしてないです」

――1・4東京ドームの試合後に深々と礼をしていたが、そんな思いから?

▼中西「自然とああいうふうになったのもあるし、久しぶりのドームやったんでね。若い時は絶対お客さんとハイタッチも何もしいひんかったけど、ここ2、3年の間にするっちゅうか、そうした方が面白いというか。逆に自分が子供の時にそういうふうに手出してたから。そういうふうなのがあってもいいんちゃうかなと思ったし。もしかしてハイタッチした子の中で、それがきっかけでプロレス目指してくれる子がいるかもしれへんし。40代とかそのぐらいまではホントにずっとファンの人に対して塩対応やったんですけど(苦笑) 最近は時間取ったりとか、そんな感じでやってます」

――今年は東京オリンピックの年だが、五輪代表として入ってきて苦しかったこともあった?

▼中西「そうですね。要はレスリングも本当にモノになったのは、15から始めて25か26かそこらへんで10年か11年ぐらいやって、そのぐらいの年になってやっとモノになってきた感じなんで、10年以上、時間がかかったんで。そのままきてプロでもやっぱり10年以上かかりましたよ。時間は凄くかかるけど、時間かけた分、自分で納得いくような形が取れてきたんで、そういう意味でプロレスもアマチュアレスリングもできたんで。だから錯覚してる部分があったんで。アマチュアレスリング11年間やってきて、ホントにモノになったのが10年目とかそのぐらいやのに、プロで急にできるわけないじゃないですか。アマチュアレスリングの癖もついてるし、そんな抜けへんし。もがき苦しんでやって、何で俺こんなもがき苦しんでるんやろと思うかもしれんけど、アマチュアレスリングの時はもっともがいてましたから。子供の頃、親父の農業の手伝いしかやったことない、運動なんてほとんどしたことがなかったから。とにかく飯を食ってプロレスごっこだけしてる、そんな子でしたから。アマチュアレスリングやっても全然成績が上がらへんかった。でも、もがき苦しみながら10年経って。そう思えば、もっと楽やったと思うんですけどね。自分を見失ってましたよね。そやけど10年経ったぐらいからみえてきたというかね。そういう感じで苦しかったことというのは、見失った時は苦しかったですね」

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