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3/16【大日本】旗揚げ25周年で伝説のサソリデスマッチふたたび 藤田ミノルがサソリ固めで制す

『大日本プロレス25周年メモリアル 大日本旗揚げ記念日 STARDUST SUPERSTARS』神奈川・横浜文化体育館(2020年3月16日)
松永光弘プロデュース〜サソリ&サボテンタッグデスマッチ ○藤田ミノル&ジョシュ・クレインvs塚本拓海&佐久田俊行×

 旗揚げ25周年興行で、松永プロデュースにより、伝説のサソリデスマッチが再び実現。藤田がサソリの上でサソリ固めを決めて乱戦を制した。

 “ミスター・デンジャー"こと松永は日本のデスマッチ黎明期に数々の破天荒な形式を生み出したレジェンド。後楽園ホールのバルコニーからダイブして一躍名を馳せた。大日本マットでもワニやピラニアなどを使用したデスマッチを行っている。2009年に引退した松永が25周年興行で試合をプロデュース。伝説になっているサソリに加えて、サボテンを利用したデスマッチで、佐久田&塚本と藤田&クレインが激突した。

 両チーム入場後、有刺鉄線ハチマキを撒いた松永も花道から姿を現し、リングに置かれたケース内に無数のサソリを解き放つ。このケースに相手を押し入れて5カウントを奪ったほうが勝利となる特殊なルール。ニュートラルコーナーにサボテンが設置され、ゴングが打ち鳴らされると、両軍は場外乱闘へ。松永を思わせる2階スタンド席からのダイブで場内をどよめかせた佐久田は、クレインを頭からサボテンに叩きつけると、サソリの入ったケースに投げ飛ばそうとするが失敗。一転して猛攻に転じたクレインも佐久田をサソリに投げつけようとしたが、塚本のカットが間に合った。緊張感溢れる攻防が続く。

 塚本はサボテンの一部をへし折り、自ら噛みつき、脳天に振り下ろして気合いを入れるも、あまりのダメージにもん絶する。それでも藤田の串刺し攻撃をサボテンに自爆にされると、頭から藤田をサソリケースに押しつけたが、5カウントは奪えなかった。

 終盤に奮闘したのが佐久田だ。鉄串でクレインの頬を貫通させると、その串にサボテンまで突き刺す。介入した藤田にはコードブレイカーをお見舞いした。しかし、沈まない藤田は雪崩式ブレーンバスターを敢行。クラッチを解かずにダブルアーム式バックブリーカーを決めると、佐久田を顔面からサソリケースに押し入れようと試みる。佐久田が抵抗すると、なんと藤田はケースの上でサソリ固めに捕獲。クレインがサボテンを背中に振り下ろしてアシストし、佐久田を仕留めた。

 藤田は「やることがある」と言葉少なに控え室へと消えていったが、プロデューサーの松永はコメントを発表。「非常にいい試合だったと思います」と評価し、最後のサソリ固めについても「凄いアイディアだなと思いました」と藤田を称えた。

 プロレス界から遠ざかっており、久々に試合を見たという松永は、復帰の可能性を否定しつつ、「いまだに存続しているというのは大変なことだと思いますし、これからは見ていこうかな、プロレスも少しは見なければなと思います」と大日本25周年をキッカケにプロレスに改めて興味を持ったようだ。

 そんな松永が大会から感じたのは選手の顔ぶれが変わらないこと。「私は35歳の時はすでに上がいなかったので、デスマッチ界の大御所という感じで。プロレス雑誌にもあんまりページを割いてもらえなくなって、言い方悪いですけど、早く業界から出ていってほしいというのを感じました」と自分の経験を語ったうえで、「代謝がほとんどなくなってしまっているのかなと思います。小林選手、伊東選手には悪いんですけど、早く誰か若い選手に落としてほしい。我々は落とされた口なんで。もう勝てないと思ったから。葛西純、小林とか若い選手にですか。もう勝てなくなると思ったので潔くという気持ちはありましたから。早くそういう気持ちにさせてほしいですね。若い選手に早く落としてもらいたいです」と若いデスマッチファイターにゲキを飛ばした。

【松永の話】
▼松永「正式に引退して11年間ほぼリングには向かうことなかったし、11年間プロレスもほとんど見てなかったんですけど、来て良かったかなって。今日、ここまで引っ張ってくるのに、大日本プロレスの方々が非常に大変だったなと思うことに対してお詫びしたいなと思いますし、非常にいい試合だったと思います。またジョシュ・クレインも日本に来ることができるんじゃないかなというファイトだったと思います」

――大日本が25年間続いてきたことに対してどう感じる?

▼松永「それは奇跡に近いというか。絶対潰れることがないと思っていたFMWですら、もう20年前ぐらいに潰れてしまって。いまだに存続しているというのは大変なことだと思いますし、これからは見ていこうかな、プロレスも少しは見なければなと思います」

――サソリの上でサソリ固めを決めた藤田選手については?

▼松永「凄いアイディアだなと思いました」

――松永さんが初めてやったと思われるバルコニーダイブも佐久田選手は披露していたが?

▼松永「そうですね。今日は控え室にひとりでいて、我々の頃は自分とか、大仁田さんとか、ポーゴさんもそうなんですけど、試合が終わると、役が憑依してしまって、しばらく頭がおかしくなっちゃうという。なんかそれを凄く思い出して、懐かしかったですけど、再びそういう気持ちになることはなく終わったかなっていう。もしかしたら、自分の中でそういう感情が湧いてくるのかなと思ったんですけど、そういうのはないまま始まって終わったのかなって。今の選手もそういうものを古いと思わずに見習ってほしいかなと思います。思い出しましたね。控え室をひとりにしてほしいとか、散々ワガママなことは言いましたけど、その頃の気分を少し味わえたかなという感じがしました」

――デスマッチの後継者たちをプロデュースしたいという気持ちはある?

▼松永「要請があれば考えますけど、そこまでの必要があるのかなという気がします。時代は変わっているんじゃないかなと思いますね。ちょっとコロナウイルスで集客とかいろんなもので残念な結果はあったんですけど、伝えられることがあったら…。本当にプロレスを見てなかったので、店に来てくれるデスマッチファイターだけを覚えるという感じだったんですけど。佐久田選手とか覚えましたし。ちょっと予習で見た時は小さいだけかなと思ったんですけど、小さくても対等にできるだけの身体能力はあるんだなあとか、いろいろ発見はありましたんで。相談とかあればいつでも受けますし。私自身がリングに戻るっていうことは絶対にありませんし、そういう気持ちにも今日はならなかったなって。もう時代は変わっているんだなって。若い選手がとにかく上を落としてほしいという気持ちがありますね。私は35歳の時はすでに上がいなかったので、デスマッチ界の大御所という感じで。プロレス雑誌にもあんまりページを割いてもらえなくなって、言い方悪いですけど、早く業界から出ていってほしいというのを35歳ぐらいの時に感じました。そうしないと若手が育たないという。どれだけ頑張ってもカラーで後ろのほうに1、2ページ程度。ヘタすれば白黒で。当時の若い選手より絶対いい試合をしてたのに、(若い選手は)巻頭であったりという扱いを受けて非常に悔しかったけど、そうはいかないぞという気持ちで42歳まで、そこから7年間頑張ったんですけど。代謝がほとんどなくなってしまっているのかなと思います。小林選手、伊東選手には悪いんですけど、早く誰か若い選手に落としてほしい。我々は落とされた口なんで。もう勝てないと思ったから。葛西純、小林とか若い選手にですか。もう勝てなくなると思ったので潔くという気持ちはありましたから。早くそういう気持ちにさせてほしいですね。若い選手に早く落としてもらいたいです。なにせ代謝が悪いと思います。40過ぎて、雑誌に大きく載せてもらうなんて我々の頃は絶対になかったですね。頑張って頑張って、絶対に俺のほうがいい試合してると思っても、本当にドンドンページが少なくなっていって。早く出ていってくれというのを本当に感じました。とにかく週刊プロレスしか情報源はないんですけど、何にしろ代謝がなくなったなというのは思います。押し出されていくのは運命ですから、ベテランが。早くそうなってほしいですね。対戦したことのある小林選手とか葛西選手には申し訳ないですけど、早く代謝してほしい。落としてほしいです。落とさなきゃダメだと思います、プロレス界。我々も落とされてきているわけですからね。我々だって、中牧さん、ポーゴさんを落としましたから。で、居場所がなくなったんです。居場所がなくなった順に辞めていったんです、昔は。我々も容赦なく落としました。若手を落とした時もありますよ。あとから出てきた若手を『そうはいかない』って落としちゃった時もあります。最後は落とせなくて、ダメだなって思って、潔く引退しましたから、早く落としてほしいと思います。そういう選手に出てきてほしいですね」

――今日の試合に出た4人の選手にはそういう可能性を持っている?

▼松永「あるんじゃないですかね。藤田選手は戦ったことがあるんじゃないかなという選手だと思います。同じ控え室になったことのある選手ですけど、ジョシュ・クレインも含めて3人は充分可能性があるんじゃないですかね。そうならないとダメだと思います」

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