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4/16【ドラディション】藤波50周年記念大会 大阪、東京で今秋開催 「ひとり大物をリングに上げるのが課題」

『DRADITION 2021 UPRISING〜MITSUYA NAGAI 30th ANNIVERSARY〜』東京・後楽園ホール(2021年4月16日)

 藤波辰爾デビュー50周年興行2大会の今秋開催が決定。藤波は「その土地のお客さんが喜んでもらえるような大会をやっていきたい」と全国縦断を描きつつ、「ひとり大物をリングに上げるというのが僕の課題」と大物招へいを誓った。

 この日の後楽園大会のメインイベント前、会場ビジョンで藤波50周年記念興行となる10・31大阪、11・9後楽園両大会の開催が発表された。藤波は1971年5月に日本プロレスでデビュー。今年の5月で50周年の節目を迎える。

 記念大会開催が決まり、藤波も「5月9日からの50周年が僕の中の本番なんで。それから来年の5月9日、1年かけて僕の50周年をね。自分の記念大会を、僕ひとりでやるんじゃなくて、今までファンやレスラーと、各地で自分がプロレスで作った思い出を、いろんな形でお返ししていきたい」と意気込んでいる。理想は「北は北海道、南は九州・沖縄まで」と全国縦断。「本来、ドラディションは誰かしらレジェンドガイジンを呼ぶんだけど、今回はこういう形で無理なんで、この50周年を機に。その時、どれだけ緩和されているかわからないけど、ガイジン選手含め、日本人の僕にいろんな形でまつわる選手を」とゆかりある大物の招へいを描いている。

 中でも師匠・アントニオ猪木の存在は藤波のレスラー人生に欠かせない。現在、猪木は入院、闘病中だが、頻繁に連絡しているという藤波は「元気な声を聞いてますけど、とにかく猪木さんあっての僕」とキッパリ。猪木来場を目指す構えをみせた。

 かつて激闘を繰り広げた長州力、前田日明には事あるごとにカムバックを呼びかけてきた。二人から拒まれているものの、藤波は「たぶんみんな、僕が現役でいる間は、いつ僕から声をかけられるかっていうので、みんなそれとなく絶対下準備はしている。誰とは言わないけど。絶対声をかければ、すぐ飛んでくる」と前向きに解釈。「ひとり大物をリングに上げるというのが僕の課題」とファンに喜んでもらうためにも自らにハードルを課していた。

☆10/31(日)大阪・南港ATC ホール Cホール『TATSUMI FUJINAMI 50th ANNIVERSARY THE NEVER GIVE UP TOUR PHASE-1 IN OSAKA』

☆11/9(火)東京・後楽園ホール『TATSUMI FUJINAMI 50th ANNIVERSARY THE NEVER GIVE UP TOUR PHASE-1 IN TOKYO』


【試合後の藤波】
――長井選手の30周年を振り返ると?

▼藤波「言ったじゃない? あのクソヤロー。俺はそんな30周年を祝っている場合じゃないよ。まだまだ。とりあえず、でも、一つの節目でね。そういう記念大会というのはね。彼自身もドラディションで頑張ってくれているし、そういう意味では、またこれが次の大会に向けていい弾みがついたんじゃないかな。でも、プロレスっていうのはいいね。リングっていうのは。少し元気を取り戻させてくれるかなって。それにしても、お客さんあってのことなんだけど。お客さんに窮屈な思いをして、こうやって見てもらうのは非常に心苦しいというかな。我々だけはマスク外して、リング上でやってましたけど、本来は皆さんがいつものようにマスクを外してね。感情を伝えて応援してくれる時が一日でも早く来るように。それでも今日はリング上で言ったように、このコロナ禍の中で、この後楽園に勇気を持って足を運んでくれたお客さんに感謝ですよ。我々はお客さんあってのプロレスですからね。観客のいない道場とは違うんでね。まあ、ドラディションは1年半ぶりの大会なんで、ちょっとリングも久々に選手が暴れてくれて、喜んでいるでしょう。本来は5月9日からの50周年が僕の中の本番なんで。それから来年の5月9日、1年かけて僕の50周年をね。自分の記念大会を、僕ひとりでやるんじゃなくて、今までファンやレスラーと、各地で自分がプロレスで作った思い出を、いろんな形でお返ししていきたいなと。北は北海道は、南は九州・沖縄まで、いろんな形で。何試合になるかわかりませんけど、とにかくその土地のお客さんが喜んでもらえるような大会をやっていきたいなと思います」

――具体的にツアーの中でやりたい企画は?

▼藤波「本来、ドラディションは誰かしらレジェンドガイジンを呼ぶんだけど、今回はこういう形で無理なんで、この50周年を機に。その時、どれだけ緩和されているかわからないけど、ガイジン選手含め、日本人の僕にいろんな形でまつわる選手を。一時期のプロレスが一番盛んな時を一瞬でも皆さん思い起こせるような大会をやってみたいなと自分では思っています」

――藤波選手にまつわる人と言えば、一番は今入院されているアントニオ猪木さんだと思うが?

▼藤波「もちろんです、それは。猪木さんとはちょくちょく電話して、元気な声を聞いてますけど、とにかく猪木さんあっての僕なんで。そういうことを含めて、自分が1970年の入門した時から、いろんな選手がいろんな形で(関わっている)」

――その中で復活させたい選手もいるのでは?

▼藤波「いますよ! それと、引退した選手も、もう1回僕の大会には。たぶんみんな、僕が現役でいる間は、いつ僕から声をかけられるかっていうので、みんなそれとなく絶対下準備はしている。誰とは言わないけどね。誰とは言わないけど。絶対声をかければ、すぐ飛んでくる。それと、ひとり大物をリングに上げるというのが僕の課題ですから」

――藤波選手から見た長井選手の印象は? あれほど身長があって、素質的には申し分ないと思うが、ブレイクできなかった部分があったとご本人は話していた

▼藤波「僕は長井選手の全てを知っているわけではないんだけど、ドラディションのリングに上がって来てからの長井選手しか知りませんけど、格闘技センスというのかな。そういう部分ではいいものを持っているし、それと同時に、プロレスのリング上でドラディションがやろうとしていることは彼自身もわかっているから、とにかくいろんな形で、来たお客様に満足してもらおうというのがにじみ出ているんでね。これからもっと彼自身も、35年、40年、やがて50年とか。そういう部分では、少しでも長くリングに立ち続けてほしいなって」

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