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8/1【ZERO1】11年ぶり火祭り制覇から一夜 関本が“全国行脚”を視野に宣言 「自分なりのZERO1を伝えていきたい」

 7・31後楽園大会で11年ぶり2度目の火祭り優勝を果たした関本大介が一夜明けた1日、コメントを発表。火祭り刀を携えての「全国行脚」を視野に「大谷さんの代わりにはなれないけど、自分なりのZERO1を伝えていきたい」と誓った。

 7年ぶり12度目の火祭り出場を果たした関本はAブロックを首位通過。7・31後楽園大会における決勝戦でノア・稲村愛輝を大激闘の末に破り、11年ぶり2度目の優勝を飾った。一夜明けたこの日、「試合後、頭がポーッとして、コメントしてるのかどうかもわからないくらい。それくらい激闘でした。朝、この火祭り刀があった時、『そうだ! 優勝したんだ!』と確信したくらい」と優勝を噛み締め、「過去、稲村選手とは戦いもしたし、組むこともあったけど、ケタ違いにレベルアップしてました! 小細工なく真正面から来るとこだけ変わってませんでした」と稲村を評した。

 第1回大会に出場している関本にとって火祭りは「20数年前に初めて大谷さんに直談判して、初戦が大谷晋二郎戦で。それも後楽園ホールで。あの時、キャリア1年くらいの無名の俺に、大谷さんはそれこそ真っ向から来てくれて、俺も必死だから真っ向勝負しかなくて。あの日、俺のプロレス人生は本当の意味でスタートした」というほど思い入れの強い「特別」なもの。「大谷さんが帰ってくるまで俺にできることは?」と考えた時、「大谷さんが僕にしてくれたことを、ZERO1の若い子たちに伝えてあげれたら」との思いに至って今年、7年ぶりに出場した。

 その恩人である大谷が現在、重傷を負って不在。優勝後のリング上で「ZERO1に上がり続けます!」と宣言した関本は「大谷さんの代わりにはなれないけど、自分なりのZERO1を伝えていきたい」とキッパリ。スケジュールが許す限り火祭り覇者としてZERO1のリングに上がり、かつて自分にとっての大谷がそうだったように、今度は自らがZERO1の若手勢にとっての高い壁となるつもり。そして火祭り刀を携えての「全国行脚」を改めて見据え、「コロナで落ちた全国の人間の心をプロレスで元気にしてきます!」とも誓った。


【関本のコメント】
▼関本「昨日、稲村選手と闘えて本当に良かった。試合後、頭がポーッとして、コメントしてるのかどうかもわからないくらい。それくらい激闘でした。朝、この火祭り刀があった時、『そうだ! 優勝したんだ!』と確信したくらい。過去、稲村選手とは戦いもしたし、組むこともあったけど、ケタ違いにレベルアップしてました! 小細工なく真正面から来るとこだけ変わってませんでした。火祭りは俺にとって特別で、20数年前に初めて大谷さんに直談判して、初戦が大谷晋二郎戦で。それも後楽園ホールで。あの時、キャリア1年くらいの無名の俺に、大谷さんはそれこそ真っ向から来てくれて、俺も必死だから真っ向勝負しかなくて。あの日、俺のプロレス人生は本当の意味でスタートしたんだって思うんです。だから、昨日も言ったけど、火祭りっていうのは俺にとって夏の甲子園みたいな、いつまで経っても忘れられない、そんな人生にとって大切なものなんです」

――「火祭り刀を持って全国を行脚します!」と言っていたが?

▼関本「前回、11年前ですか。その時に大日本のシリーズや地方のプロモーターさんに呼ばれて行くと、『火祭り刀ですか!』ってみんなに言われたんです。それはお客さんだけじゃなくって、レスラーからも。これも大谷さんに言われたんですけど、『大ちゃん、火祭り刀は生きてるんだよ! 俺も火祭り刀獲ってから、ノアさんとか全日本さんとか色んなところに上がった。大ちゃんとも火祭り刀のおかげで、横浜アリーナで戦えたし!』って。で、前回持ったときは東日本大震災のあとで、この火祭り刀とともに東北の人にプロレスで元気を与えてきました。だから、僕は、これ(火祭り刀)をもって、コロナで落ちた全国の人間の心をプロレスで元気にしてきます!」

――「ZERO1にこれからも出ます!」と言っていたが?

▼関本「大谷さんが、こういうことになって、とてもショックで。試合だけじゃなくて、夜とかとても楽しくて。少し落ち込みまして。でも、大谷さんは以前に『プロレスはいつ何が起こるかわからない。だから俺はビッグマッチでも、小さなチャリティーでも、これが最後って想いで常にリングに向かってるよ!』と。じゃあ、大谷さんが帰ってくるまで俺にできることは?って考えたときに、ZERO1には今、若い子たちが多くて。なら、大谷さんが僕にしてくれたことを、その子たちに伝えてあげれたらと。そう思ってたら、大田区(6・4大谷エイド)で咄嗟に『火祭りでます!』って言ってました。昨日も松永(準也)選手なんか、田中さんとキャリア1年ちょっととは思えないほど奮闘してました。今までは大谷&田中の炎武連夢で若手の壁になり、プロレスはもちろん、礼儀作法もしっかり教育されていた。田中さんを支えるほどはできないかもしれないけど、ZERO1の歴史を戦いで教えることはできる。大日本プロレス所属なので全てとはいかないけど、スケジュールが合う大会には出たい! そういう思いです」

――ファンにメッセージを

▼関本「この火祭り刀とともに全国を行脚します! 大谷さんの代わりにはなれないけど、自分なりのZERO1を伝えていきたいです」

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