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4/18【全日本】故・曙さんに追悼テンカウントゴング 諏訪魔「横綱と過ごした時間は財産」

『チャンピオン・カーニバル2024』後楽園ホール(2024年4月18日)

 故・曙太郎さんの追悼セレモニーが後楽園大会開始に先立ち、執り行われた。

 曙さんは大相撲史上初の外国出身横綱(第64代)。引退後、2005年からプロレスに挑戦し、全日本に参戦。三冠ヘビー級、世界タッグ(パートナーは故・吉江豊さん)両王座を戴冠し、チャンピオン・カーニバル優勝、世界最強タッグ決定リーグ戦(パートナーは武藤敬司)優勝など輝かしい戦績を残した。

 心不全のため54歳の若さで亡くなった曙さんの栄誉を称え、この日、全日本は追悼セレモニーを執り行った。和田京平レフェリーが遺影を抱き、出場選手たちがリングを囲む中、追悼テンカウントゴングが捧げられた。

 セレモニーに参加した諏訪魔は曙さんがプロレス挑戦を始めた2005年当時、まだデビュー1年の若手。“武藤部屋に入門"という形で全日本参戦を始めた曙さんの付き人を務めた。「当時、全日本は巡業で物凄く小さい町も行ってたし、北海道でも凄く小さな町に行きましたからね。そこでも曙っていったら当然、みんな知ってるんですよ。だから試合も大盛り上がり。やっぱり曙さん見たさにみんな来てたと思いますよ」と当時の風景を回想。宴席もともにし、「歌が大好きでしたね。尾崎豊の『I LOVE YOU』を唄ってましたよ。これがまたうまいんですよね。宴席はいつも大盛り上がりでしたね。あの人がいるだけで空気が違うし、そこにいるだけで雰囲気が明るくなる」と楽しいひと時を過ごした。

 曙さんとは何度も対戦し、三冠ベルトをかけて対決した。その中で今も諏訪魔には印象に残っている場面がある。「どこかの大会で相撲のぶちかましをされたんだよね。俺がガンガンいって、何かやったあとに、ぶちかましもらったんだよ。そしたら本当に両足が浮いて吹っ飛ばされたのよ。ロープの方まで、端から端ぐらいまで吹っ飛ばされたの。よく映画であるじゃない? 人が吹っ飛んで壁にぶつかってみたいな。あれぐらい吹っ飛んだんですよ。横綱ってすげえんだなって改めて感じたし、俺は無力でした(苦笑)」と振り返った諏訪魔はその時、大相撲の頂点を極めた曙さんの凄さをまざまざと痛感させられた。

 曙さんと過ごした時間は諏訪魔にとってかけがえのない「財産」だ。「そこで学んだものもいっぱいあったし、横綱の気持ちというか、そういうものを引き継いで下にいい影響を与えていきたい」と話した諏訪魔は“曙イズム"を全日本に残していくつもりだ。


【諏訪魔の話】

――曙さんが亡くなられ、諏訪魔選手も付き人についてその人柄にたくさん触れたと思うが?

▼諏訪魔「凄いオーラでしたよね。あの頃、ちょうど武藤さんの付き人が終わって、『よし、一人でこれから頑張っていこう』っていうフレッシュな僕でしたけど、当時、横綱が武藤部屋に入門みたいな感じで、雷陣(明)が付き人をやるってなってたんだよね。でも、あいつがどっかの地方で脳震盪かなんかになっちゃって、急きょ欠場になって、俺がやることになったんですよ。そういう縁があったけど、そこからは凄かったですね。言い出したらキリがないんだけど」

――曙さんから影響を受けた部分もあったのでは?

▼諏訪魔「凄いよね。存在感、オーラが違うんでね。武藤さんは武藤さんでオーラが凄い方ですけど、また別のものですよね。どこに行っても曙って絶対知ってますから。当時、全日本は巡業で物凄く小さい町も行ってたし、(曙さんの初巡業となった)北海道でも凄く小さな町に行きましたからね。そこでも曙っていったら当然、みんな知ってるんですよ。だから試合も大盛り上がり。やっぱり曙さん見たさにみんな来てたと思いますよ。ポスターに横綱が入ってるだけで全然違いますからね」

――特に思い出深いエピソードは?

▼諏訪魔「本当にいっぱいあるんですけど、歌が大好きでしたね。尾崎豊の『I LOVE YOU』を唄ってましたよ。これがまたうまいんですよね。宴席はいつも大盛り上がりでしたね。あの人がいるだけで空気が違うし、そこにいるだけで雰囲気が明るくなるからね。リング上ではグレート・ムタとグレート・ボノの共演が印象深いな。あれは代々木だったかな。暗転してさ、明かりがついたらムタとボノが構えてるわけですよ。あれはビックリしたし、ゾクゾクしたね。カッコよかった。曙さんの存在感って凄かったな」

――諏訪魔選手も三冠をかけて戦ったが?

▼諏訪魔「三冠とかチャンピオン・カーニバルとかで試合しましたね。強烈でしたね、張り手とかね。どこだったかな。大舞台ではなかったかったんだけど、どこかの大会で相撲のぶちかましをされたんだよね。俺がガンガンいって、何かやったあとに、ぶちかましもらったんだよ。そしたら本当に両足が浮いて吹っ飛ばされたのよ。ロープの方まで、端から端ぐらいまで吹っ飛ばされたの。よく映画であるじゃない? 人が吹っ飛んで壁にぶつかってみたいな。あれぐらい吹っ飛んだんですよ。横綱ってすげえんだなって改めて感じたし、俺は無力でした(苦笑) 簡単に浮きましたからね。こんな浮かされるんだってビックリさせられました。相撲界で横綱まで行く人って全然違うんだなって思いましたね」

――諏訪魔選手も曙さんの巨体をバックドロップで投げ、あれは衝撃だったが?

▼諏訪魔「投げるのは俺、いけるんでね。とにかく重い。手を回すのも大変だしね。ただコツがあるんでね。普通だったら手が回らないけど、回し方があるんで。人間的に共通の部分があるんでね。でも投げたあと腰が痛い。自分にも大ダメージでしたよ(苦笑)」

――あの巨体を投げたという爽快感もあったのでは?

▼諏訪魔「いやあ、もう自分の体が痛くて、そんな快感を感じる余裕なんてなかったですよ(苦笑) 吉江(豊)さんもそうだし、若くして亡くなられていくのはつらいですね。プロレスやってると、この年になるとこういうことが続いてくるのかな。それはプロレスラーの宿命なのかもしれないけどね。最後までプロレスラーって生き様を伝えていくものなんだなって思う。横綱の凄さって今、日本中みんな考えさせられてるんじゃないかな。あんな人いないですよ。凄い人だったんだなって改めて思うよ」

――そんな凄い方とリング内外で過ごした経験は大きいのでは?

▼諏訪魔「凄くいろんなことを学べたよ。だから財産ですね。相撲の付き人っていっぱいいたと思うんですけど、プロレスで横綱の付き人ってなかなか、そうなれるタイミングってなかったと思うんでね。そこで学んだものもいっぱいあったし、横綱の気持ちというか、そういうものを引き継いで下にいい影響を与えていきたいですね」

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