【新日本】天山広吉が8・15両国で引退 ラストマッチへ盟友・小島とのシングル希望 2026/5/11

 天山広吉が11日、東京・中野坂上の新日本事務所で棚橋弘至社長同席のもと会見し、8・15両国大会での引退を発表した。

 天山(本名・山本広吉)はかつて新日本が運営した新日本プロレス学校を経て新日本に入門し、1991年1月11日にデビュー。蝶野正洋、小島聡らをパートナーにIWGPタッグ王座を通算12回獲得し、IWGPヘビー級王座4度の戴冠、G1 CLIMAX3度の優勝など輝かしい実績を残し、90年代から2000年代にかけてトップとして活躍してきた。

 昨年4月から腰とヒザの負傷のため欠場し、復帰を目指してリハビリを続けてきたが、「プロレスラーとしてリング上で最低限見せなきゃいけない、お客様に高いお金を払ってもらって、その対価として見せられるというか、ちょっと自信がなくなった時があって。このままじゃ難しいのかなっていろんな葛藤があって、なかなか迷いもあったりしたんですけど。やっぱりここはハッキリさせなきゃいけないなって、ここ何ヵ月か、いろんなことを考えました」と明かしたように悩んだ末に現役続行を断念。35年間のレスラー生活に終止符を打つことになった。

 引退試合の舞台は8・15両国大会に決定。かつてG1連覇を達成し、小島とIWGP&三冠ダブルタイトルマッチを戦った思い出の会場で最後のリングに立つ。天山は「両国国技館は自分にとっては一番やりやすい最高のアリーナ。ゆかりの場所の会場でもありますので、いい思い出もあるし、メチャメチャ嫌な思い出もありましたけど、両国国技館で、G1の期間中ですけど、そこで熱い戦いを見せられたら」と意気込んだ。

 ラストマッチへ向けては「タッグでもテンコジだったりとか、蝶天だったりとかありましたけど、やっぱり自分の力をぶつけたいっていうか、自分はシングルが理想かな」と希望。「棚橋社長が先に引退されて、引退ロードの時、自分もちょっと休んでたもんですから。社長と試合やりたかったなって気持ちがあった。社長、どうですか?」と投げかけて棚橋社長を苦笑させた天山は「あの男かなあ。天山広吉といえば、あの選手かなと思います。ちょっと敢えて名前はあれですけども。いっちゃうぞかな」とテンコジの盟友・小島を最後の相手に希望した。

 気になる体調面についても言及。当初は「体を動かしたときに腰から足にしびれが出たり」と深刻で手術を受けた。現在も「しびれも残ったりとか、フラフラしたりとかがあって」と悩まされてはいるものの、天山は「これから8月に向けてこの3ヵ月間でどれだけいいところまで戻していけるのかという感じですね」と話した。

 「自分にとって師匠的な感じの先生でもあるし、やっぱり蝶野さんなくして語れないという方」と蝶野のゲストと来場も希望した天山。3ヵ月後の引退試合へ向けて「最後に試合をしっかりできるようにコンディションを整えていきたい。とにかく最後はしっかりと締められるような体調で臨んでいきたい」と誓っていた。


【会見の模様】

▼棚橋社長「かねてより腰とヒザの負傷により欠場しておりました天山広吉選手ですが、復帰を目指してリハビリを重ねてまいりましたが、現役続行は難しいと本人より申し出があり、会社として引退を受理しました。(涙ぐみながら)引退試合は8月15日、両国国技館大会で行います。なお、引退後は新日本プロレス所属として芸能活動を継続していく予定です。私からは以上です」

▼天山「本日は連休明けの中、お忙しいところ皆様お集まりいただき、ありがとうございます。先ほど棚橋社長から発表されましたけど、私、天山広吉。プロレスラー生活35周年になりますけど、今年の2026年8月15日。私、現役を引退することを決めました。長い35年間。長いのか短いのか分からないですけど、とにかく私はこれで引退すると決めたんですけど、本当にたくさんの方に支えられて、ご支援、指導いただいて、皆様にホント助けていただいたっていうの本当にありがとうございます。私が右も左も分からない新弟子として入門してから、ここまでこれたっていうのは奇跡に近いようなぐらい。自分にとってはプロレスラーになること自体がホント奇跡みたいなものでしたから。ここまでやってこれて自分でもプロレスラーになれてよかったなと思います。引退することになりましたけども、まだまだ新日本プロレスの会社の中で僕に協力できることがあれば何でもしたいと思ってますので、これからもよろしくお願いします」

――復帰を目指す中で引退を決意したタイミング、理由をあらためて?

▼天山「やっぱり会社の方と契約の話し合いの中で、自分でもいろんな葛藤があったんですけど、やっぱりプロレスラーとしてリング上で最低限見せなきゃいけない、お客様に高いお金を払ってもらって、その対価として見せられるというか、ちょっと自信がなくなった時があって。このままじゃ難しいのかなっていろんな葛藤があって。なかなか迷いもあったりしたんですけど、やっぱりここはハッキリさせなきゃいけないなって。ここ何ヵ月か、いろんなことを考えました。これで最後に試合をしっかりできるようにコンディションを整えていきたいなと思います」

――引退試合はやる方向で?

▼天山「そうですね。基本的には最後はエキシビションでも、たとえ5分でも10分でも試合ができればと思ってます。相手がまだ自分の中でいろいろ考えてはいるんですけど、今ふと思ったのが棚橋社長が先に引退されて、引退ロードの時、自分もちょっと休んでたもんですから。社長と試合やりたかったなっていう気持ちがあったんですけどね。社長、もうされないんですか?」

▼棚橋社長「僕も2004年のG1 CLIMAXの決勝戦で天山選手にガッチリやられたんで」

▼天山「あの試合、ホント自分の中で今でも思い出せますけど。23年前ですかね」

▼棚橋社長「柴田、中邑、棚橋の新闘魂三銃士3タテ食らったっていう。強かったですね」

▼天山「社長が最後に出てきた時は、ここでやられてたまるかって気持ちでしたけど。あれから試合してないかなっていう。最後にやりませんか? とにかく最後はしっかりと締められるような体調で臨んでいきたいと思いますんで、また後日発表させていただきたいと思います」

――舞台が両国となったことについては?

▼天山「やっぱり自分の中でも今まで両国国技館というゆかりの場所の会場でもありますので、いい思い出もあるし、メチャメチャ嫌な思い出もありましたけど、両国国技館で、しかもG1の期間中ですけど、そこで熱い戦いを見せられたらなと思いますね」

――レスラー人生で一番の思い出は?

▼天山「一番の思い出っていうか、たくさんありますけどね。1990年の3月に入門したんですけど、2日目でもう夜逃げしたんですよね。夜逃げして、そこからやっぱり戻ってきたのがちょうど5月11日だったと思うんですよ。今日と日付一緒だって思って。たまたまかもしれませんけど、再入門した日が5月11日だったと思うんですけどね。それからは今まで35年間ですけど、嫌なことばっかりありましたね。新弟子の時代って。今は亡き橋本さん、ライガーさん。いろんな人がバリバリ凄かった人がいた時代だったんですけど。長州さんとかもバリバリ、藤波さんとかも凄かった時代で。その時に右も左も分からない新弟子として入門して、いろんなことを経験させてもらって、なんとか海外修行に行って体を大きくして天山広吉に変えたと。いろんな思い出あるけど、やっぱり一番はチャンピオンになったりとか、G1 CLIMAX初優勝した時なんかは最高にうれしかったですし。お客さんのメチャクチャ熱い声援を直に感じると、それがやっぱりうれしかったですよね。特に両国国技館は自分にとっては一番やりやすい最高のシチュエーションのアリーナでしたので。試合はまたもう一回やりたいですよね。最後にね」

――やり残したことは?

▼天山「そうですね。やり残したこといっぱいあるかもしれません。でも、もう自分の決めたことなんで、これはもう後ろ髪引っぱられるように、いつまでもしがみつくことはしなくても、やるだけやったのかなと。プロレスラーとしてはこれ以上は特に。全てやり切ったかなと思いますね」

――引退後の天山選手に社長として期待されることは?

▼棚橋社長「やはり天山選手はインパクトがあるので、そういった芸能面で新日本プロレスを広めていく活動と、やはり若い選手に対してどうやって試合に臨むのか、そういった心持ちであったりとか、試合を見ていただいて、天山選手だから言えるアドバイスがあると思うので、そういった部分も伝えていってほしいですね」

――天山選手にとって蝶野さんの存在は欠かせないと思うが、今回の引退に関して話したことは?

▼天山「いや、蝶野さんとちょっと連絡とってなくて、このあとちょっと連絡しようかなと。やっぱり自分にとっては師匠的な感じの先生でもあるし、やっぱり蝶野さんなくして語れないという感じの方なんでね。ちょっとあいさつ行こうと思ってますけど。蝶野さんも元気だったらいいんですけど。ぜひゲストで来てもらえないかなって思いますね。蝶天タッグも組みたいですね(笑)」

――引退に関して家族からはどんな声をかけられた?

▼天山「家族は今まで凄く支えてくれて、やっぱりいろんな時がありましたけど、家の中で大喧嘩することも多々ありましたけど。やっぱり自分だけじゃなくて家族のためにも仕事、試合をして、とにかくしっかりとケガを治してって感じでずっとやってましたし。家族なくしてここまでこれなかったんじゃないかなと思いますね。今回もしっかりとサポートしてもらって、ありがたいと思います」

――腰とヒザのケガの今の状況というのは?

▼天山「ちょうど丸1年前の5月の半ばなんですけども、ずっと長年のダメージの蓄積ですね。腰の腰椎の脊柱ですね。凄く体を動かしたときに腰から足にしびれが出たりとか。結構、難病じゃないんですけど、そういう状態だったんで。それがずっと続いてた状態で、それを手術をした感じで。ちょうど1年になるんですけど、回復がなかなかしっかりと…しびれも残ったりとか、フラフラしたりとかというのがあって。だいぶ良くはなってるんですけれども。これから8月に向けてこの3ヵ月間でどれだけしっかりといいところまで戻していけるのかという感じですね。自分としては最後、体をしっかりといけるところまで戻して最後の試合を見てもらいたいなと思います。頑張ります」

――入門から36年、新日本一筋で引退することになったが?

▼天山「さっき話してた通り、最初に自分、一回2日目で逃げちゃったんで、新日本プロレスという団体に入門するのが夢でもあって、プロレスラーとしてデビューできてここまで来たのにそんな他団体に行ったりだとか、違う会社に移籍したりっていうのは自分の中では考えられなかった。自分が入門した頃は山本小鉄さんに凄く指導していただいて。小鉄さんに後ろ足で砂かけて出ていくことはしたくなかったし、やっぱり新日本プロレスが一番だと思ってこの業界でやってきたんで、他団体に行くなんて考えられなかったですね。今まで新日本でやってこれて本当に幸せです。本当に感謝してます。ありがとうございます」

――天国の大剛(鉄之助)さんに報告するとすれば?

▼天山「自分が天山広吉として生まれ変わる節目の時に大剛さんに名前もそうですけども、このヒョロヒョロだった100キロそこそこの体を肉体改造、トレーニングをしっかりと教えてもらって。『広吉、お前もっとでかくなって飯食わなきゃダメだ』。『人より2倍3倍飯食ってトレーニングしろ』って言われて、『よし、いきます』って言ってた若い時代が懐かしいですね。22、3歳ぐらいですかね。今は大剛さんも亡くなられちゃって、天国で見守ってくれてるとは思うんですけど。とにかくいろんな人に支えられて助けていただいて指導していただいて、もちろんファンの人にもたくさん応援していただいて、今の自分がここまでこれたと思いますので、本当に皆さんに感謝させていただきたいと思います。もう1試合、しっかりやれるように頑張りたいと思いますので、応援よろしくお願いします」

――引退試合の希望はある?

▼天山「やっぱり今までの選手の方のを見て、いろんなパターンがあると思うんですけど、自分的には大勢の2対2とか3対3とか、そういうタッグマッチっていうよりも、なるべく1対1のシングルとかでやっていきたいかなという希望はあります。タッグでもテンコジだったりとか、蝶天だったりとかありましたけど、やっぱり自分の力をぶつけたいっていうか、自分はシングルが理想かなという感じですね」

――相手は?

▼天山「うーん。社長、どうですか? と言いたいところですけど、あの男かなあ。天山広吉といえば、あの選手かなと思います。ちょっと敢えて名前はあれですけども。いっちゃうぞかな」

――引退前にファンへの報告の場はありそう?

▼天山「自分的には最後の試合までずっと何もしないっていうのも、ちょっと申し訳ないじゃないですけど、全国に少数ではありますけど、自分のファンがいるかと思うんで、ちょっとでも巡業についていけたらなという気持ちがあるんですけどね。たとえばワールドの解説で行かせてもらったりとか、地方にあいさつ行ったりとか、試合は出来なくても顔見世程度で行きたいなと思いますね」

――YouTubeでやせられたと指摘されているが?

▼天山「やせたってよく言われるのがメチャメチャムカつくんですよね。別に痩せてもいいじゃんみたいな。何が悪いの? って。やせたやせたって言われるとムカつくんですけど」

僕は逆に太ったって言われます(苦笑)」

天山「体調は普段大変だと思いますけど、自分ももうちょっと増量して、ガンガン飯食って社長みたいに」

▼棚橋社長「僕は短期間で13キロ」

▼天山「凄いですね。自分も体重的にはだいぶ落ちてることは落ちてるんですけど、やっぱりリング上にタイツ一丁で出たいんで、体をまたしっかり鍛え直してやってるんで。ぜひ最後の試合、期待してもらいたいと思います。しっかりと体を作りますので、よろしくお願いします」