2/9【天龍プロジェクト】「肩の荷が降りた」「プロレス界にも恩返し」 囲み取材における天龍の詳細コメント(写真あり)
引退会見後の囲み取材における天龍源一郎の詳細コメントは以下の通り。
【会見後の囲み取材】
――幕引きに向けて?
▼天龍「39年プロレスに関わって、凄く良い思いをさせてもらいましたので、残り9ヶ月でプロレス界に恩返ししていきたい気持ちが大きいですね」
――3・6新木場に向けて?
▼天龍「弾けてやりますよ。ありったけのやれることはやってやろうと思ってます。悔いのないようにやっていきたいと思います」
――体の不調や怪我が理由ではない?
▼天龍「それは違いますね。体調は上がっていってますし、逆に体調が悪かったらもっとしがみつこうとしたと思いますよ。プロレス人気も盛り上がってきたし、新世代の人たちも頑張ってるし、家庭の事情も含めて、何となく感じて“そろそろだな"というのが正直なところ」
――後継者だと思う人間は?
▼天龍「そんなこと言ったらうぬぼれるから言いませんよ(笑) 何人かはいますけど」
――馬場さんの追善試合にはどんな気持ちで出場していた?
▼天龍「ちょうど辞める辞めないって話をしてた時でしたんで、代表(紋奈さん)が、今の天龍にできることは、馬場さんの17回忌にしっかり出て恩返しをすること…ということで、元子さんとか秋山社長とか諏訪魔選手に電話して、天龍が今年で辞めるかもしれない状況なので、出場させてやって欲しいと言ってくれたみたいなんですね。そういう意味で馬場さんの17回忌の追善興行に出られたことは、しっかり自分の中で残っていくものだと思いますし、ひじょうにありがたいことだと思っています」
――家族の支えとは?
▼天龍「ムチャクチャでしたから。ムチャクチャの中でも、こいつら(家族)がいるから頑張ろうという思いにさせてくれた。だから身内の人たちに、これからは俺が恩返しをしていきたいなという気持ちですね。俺が身近にいて何かの手助けになるんだったら…という思いですね」
――タレント活動も?
▼天龍「ご飯を食べていくためには、あるに越したことはないですけど、こればっかりは何とも言えませんけどね。これって、俺の言ってることがすべて理解できる人って(※カツゼツ悪いキャラの)“営業妨害"してない?(笑) でも男がご飯を食べていくってことは大変なことですから。辞めると決めたからには腹を決めて、色んな仕事に向かっていきたいと思っていますよ」
――ナレーションの仕事も?
▼天龍「恐ろしいことですね(笑) でもやりますよ。新しいことを始めることで脳みそも活発に動きますから、頑張ります」
――廃業という言葉も出たが、引退後はプロレス界とは関わらない?
▼天龍「どういう関わり方をするかによると思うんですが、指導うんぬんとか、解説とかやるっていうのも無いでしょうし、プロレス界から廃業だとは思ってます」
――引退興行は両国国技館?
▼天龍「両国なんてそんな大きなところ…っていうのが正直なところですね。僕はどこでも自分の中で線引きして“天龍源一郎はプロレス界で終わった"と自覚ができる場所であれば、どこでも」
――改めて馬場さんへの思いは?
▼天龍「相撲の頃、ちょっととんがった天龍源一郎がいて、プロレス界という実社会に放り出された時に馬場さんには色んなことを教えていただいて。相撲でとんがっていた天龍源一郎が、プロレスに入ってちょっと楕円形の天龍源一郎になって、こうしてフルムーン(満月)のような人間になれたと思ってます(笑) 馬場さんもそうですけど、全日本出身の天龍源一郎と一騎打ちの覚悟を決めていただいた猪木さんにも感謝しています。再戦を…という話もあったんだけど、勝ち逃げさせてもらって悪いことしたなと思ってますよ」
――一番のライバルは?
▼天龍「難しいですね。その時々で。ただ最初に入った時に一番身近にいて、一番影響を受けたのは(ジャンボ)鶴田選手ですね」
――清々しい表情に見えるが?
▼天龍「肩の荷が降りましたよ。後楽園ホールに来る時は、行きも帰りもいつもイライラしてた。来る時は試合前で不安な気持ち、これから戦うという気持ち。帰り道は勝った時でも気持ちが高ぶって。でも今日は記者会見ということで、自分の気持ちを素直に話せばいいんだな、て(穏やかな気持ちで)後楽園ホールに来て。ただまぁ、試合が近くなってリングに上がれば、またイライラとかが生まれてくるとは思いますけど、それはそれで楽しみたいと思います」
――残り9ヶ月だが寂しさがある?
▼天龍「9ヶ月もあるのか、9ヶ月しかないのかは分かりませんけど、相撲も含めて格闘技生活50数年。自分の中で途切れたものが無いものなんで、想像がつかないですね。寂しいのか、すっきりするのか。これもまた微妙なところですね」
――改めてプロレスとは?
▼天龍「力道山関がアメリカから持ち込んでくれた、大衆娯楽のトップだと思ってますよ。ある種、アメリカから来た日本の新しい伝統芸能だとも思ってますよ」