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9/15【ARISTRIST】蝶野が『肩書がなくなった自分をどう生きるか』を上梓 60歳誕生日2日前にサイン会 還暦以降へ「楽しみ」

 蝶野正洋が『「肩書がなくなった自分」をどう生きるか』を春陽堂書店より上梓。出版記念サイン会が15日、東京・神保町の書泉グランデで行われ、2日後に迎える還暦へ向けて蝶野は「2日後にそこをまたがなきゃいけないんだなと。それはそれで楽しみ」と前向きに話した。

 同書は50歳以降の男性へ向けた一冊。リストラ、役職定年などによって背負っていた肩書がなくなったとき、どう生きていけばいいのかをプロレスラー、アパレルメーカー経営者、救急防災の社会貢献活動など多彩な経験を持つ蝶野がアドバイスする内容となっている。

 先述のような不安を抱く50代男性が蝶野の周囲にも多く、「50になっていろんな不安があると。そういうところを吹き飛ばすぐらいの話を自分がみんなにできれば」というのが執筆の動機となった。一方で「自分も日々、体が痛かったり、杖なしに歩けない。そういう不安の中の戦いで3ヶ月ぐらいで少し調子が良くなってきて。こんな状況の中で自分をある意味、奮い立たせる」という思いもあったという。5年前から腰痛に悩まされ、2021年12月には脊柱管狭窄症の手術を受けた。一時は杖なしに歩行できなかったものの、ようやく自足歩行できるまでに回復した。

 今月17日が60歳の誕生日となる蝶野は還暦を迎え、スタッフから花束とバースデーケーキで2日早いお祝いをされた。「俺自身は変わらないと思うし、今回もケガが自分にとってきつくて長かったんで、その時から比べたら全然、今、先を考えたいという方向がどんどん頭が回ってる感じ」と今の心境を話した蝶野は「75まで、仕事ができるまでやるぞという気持ち。60は通過点でしかなかった。点でしかなかったけど、近づいてくるけど、ここに仕切り線がきてて、2日後にそこをまたがなきゃいけないんだなと。それはそれで楽しみにしてます」と還暦以降の人生へ向けて前向き。「長州さんはまたぐなって言うかもしれないですけどね、またがざるを得ない」と集まった取材陣を笑わせると、「リングの上はホント年寄り同士であろうが、やっぱり非常に危ない場所だと思います」とリング復帰を否定。今の自分にできる活動を続けていくつもりだ。

 この日のサイン会には30人のファンが集まった。蝶野はミニトークショーを行い、武藤敬司引退試合の秘話などを披露。最後にファンの一人一人に年齢を訊ねたうえでサイン本を手渡し、メッセージを送った。その大半が30代後半から50代の男性だったが、中には本の内容に程遠いと思われる17歳の女性ファンの姿も。蝶野は「10代の子もいたって強調しといて」と取材陣に念押ししていた。

【蝶野の話】
――どんな本になった?

▼蝶野「ちょうど書き始めというか、お話をいただいたのが去年なんですけど、自分がちょうど腰の手術、治療を終えてて、自分自身が先が見えない状態の中で、自分たちと一緒に仕事をしてきた方々も50代になっていろんな不安があると。そういうところを吹き飛ばすぐらいの話を自分がみんなにできればなという。本当に自分も日々、体が痛かったり、杖なしに歩けないんじゃないかとかね。そんな不安の中の戦いで3ヶ月ぐらいで少し調子が良くなってきて、こんな状況の中で自分をある意味、奮い立たせるという意味で書きましたね」

――タイトルに込めた思いは?

▼蝶野「周りの方が特にそういう方が多かったので、ひと昔前だったら55ぐらいだったら企業のトップで残ってる人は何の不安はないんじゃないかなという思いがあったんですけど、大手になればなるほど、50という数字が一つの恐怖みたいになってると。確かに役職はどんどん外されて、ただ仕事は多いという人が多くなってきてる。そういう人たちが自分もプロレスから離れて、自分が会社をやってる中で、周りにそういう人たちがどんどん増えてきてたので、不安の中で生きてるということで。自分なんかプロレスラーという第1の肩書があるんですけど、実際はもう10年以上もリングに上がってませんから。自分の中ではもうリングを降りてるという意識なんですけど、それがプレッシャーになる時もあるんですね。『蝶野さん、まだプロレスやってるの? その体じゃ上がれないでしょ?』ということもある。そうみられてるなら少しでも近づこうというような努力もするし。肩書というのがある意味、人を押してくれるものでもあったり、押し潰されるものでもあったり。そういうところをキャリア積んできて、社会人20年、30年やってきたらいろんなものがついてくるわけです。そこの肩書をどう活かすのか、どうすべきなのか。そういうところの思いも含めて肩書というのが一つ入りました」

――現在、蝶野さんの肩書は?

▼蝶野「俺の肩書は蝶野だろうね」

――2日後に還暦を迎えるが?

▼蝶野「そうですね。前はここ5年ぐらい腰の方でもう表舞台に出ること自体きつかったんですけども、そういった中で周りの状況が50代がどんどんスライドしていくという中で、自分はそうではない、75まで、仕事ができるまでやるぞという気持ちで。60は通過点でしかなかったですね。点でしかなかった。でも近づいてくるけど、ここに60という仕切り線がきてて、あと2日後にそこをまたがなきゃいけないんだなと。それはそれで楽しみにしてます。ただ、俺自身は変わらないと思うし、今回もケガが自分の中できつくて長かったんで、その時から比べたら全然、今、先を考えたいという方向がどんどん頭が回ってる感じです。長州さんはまたぐなっていうかもしれないですけどね、またがざるを得ないですけどね(苦笑)」

――赤いちゃんちゃんこは着る?

▼蝶野「今年2回ぐらい着てますもん。おふくろが米寿でお祝いをやった時に一緒に着させられてね。どこかでも着させられたんだよ。長州さんと武藤さんとテレビ番組でも着させられたしね。もう2回、着てます今年。3回も着ないです」

――黒のカリスマでも赤色を着る?

▼蝶野「最近は黒が薄れてきて、今日もグレーになっちゃった。60またいだら、またもう一回、黒を復活したいと思います」

――現在の体調は?

▼蝶野「去年よりは全然いいです。だから一番ひどかったのが2年前、3年ぐらいですかね。その時がまだテレビが一番最後になった年末のガキ使。あの時ぐらいは立ってるのが精いっぱいだったんですよ。どんどん悪くなって、杖がないと歩けない。で、1本が2本になって、車椅子っていう感じで手術に入ったんですけど。もう寝れなかったんですね。一日で1時間、2時間寝られるかぐらいで、そういう状態が半年以上続いて。それから比べるとちゃんと犬の散歩も行けるし、自分で好きなものが食べたいと思ったら歩いて行ける。前はまず距離を考えちゃう。だから俺と武藤さん二人だけで行動すると、ほとんど動かないんですよ。いかに人を使うかみたいな。自分で歩いてものを買いに行ったり、そういうのは今、苦もなく体が動くという状態になってます」

――リングに上がるのは期待していい?

▼蝶野「いや、そこはね。こないだ2月にホント詐欺みたいな形でリングに上がりましたけど、もうリングの上はホント年寄り同士であろうが、やっぱり非常に危ない場所だと思います。自分もテレビ朝日さんの解説でやってますけど、自分の中でそこはまたぎます。(リングの)外に出ます」

――6月に鈴木みのるさんも本を出版しているが、ライバル意識はある?

▼蝶野「でもね。今回、仕事一緒にやってる宮川さんはもう今まで300冊ぐらい本を作ったんでしょ? 20年で300冊。勝率は4割から5割。3割? もう大丈夫だと思ってます。だから次、増版、増版でしょうね。それぐらいプレッシャーかけとかないと」

――阪神が昨日、優勝したが感想があれば?

▼蝶野「家内がドイツ人なんですけども、昨日10時のテレ朝の報道ステーションで橋のところに人がバーって、警察がガーってやってるの。『これは何をやってるんだ?』って。説明に困りました。18年ぶりにこういうことがあってと。逆にあれぐらいの街全体が湧き返るというね。サッカーなんか特に地元意識が強い所なんかは、ああいうお祭り騒ぎになりますから。あの熱い騒ぎはガンガンやってもらいたいですね。警察も一緒に飛び込むぐらいのことやってもよかったんじゃないかな。市民の方がケガするから警察が代表して飛び込むと」

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