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11/29【大仁田さよなら興行】還暦爆破でプロレス界に別れ 大仁田が来年10月めどにさよなら興行を開催 “伝説の川崎"、初代タイガー、小川との対戦を希望

 大仁田厚が29日、都内で会見し、2017年10月に『さよなら大仁田、さよなら電流爆破』を開催すると発表した。舞台にFMW伝説の川崎球場(現・富士通スタジアム川崎)を希望。初代タイガーマスク、小川直也を対戦相手候補に挙げ、「還暦電流爆破」でリングを去る意向を示した。

 「還暦引退」を公言してきた大仁田。74年4月のデビューから43年が経過し、その間、4度の引退を経験。「引退という言葉はあまりにも使いすぎて、うそだとか詐欺だとかいろいろ言われていますが、本当に申し訳なく思っております」と改めて謝罪した大仁田は、「来年60歳、還暦を迎えますので、自分の中でケジメと、これが自分の最後のリングの引き際」と決意。「引退という言葉は使いません」とし、60歳の誕生日を迎える来年10月をめどに『さよなら大仁田、さよなら電流爆破』と題した“さよなら興行"を行うことを決めた。

 それに向けて「さよなら大仁田実行委員会」が立ち上げられる予定だが、現段階でさよなら興行の会場は未定。大仁田は95年5月5日、2度目の引退試合の舞台となった川崎球場を描いている。その時は同所の最多入場記録となる5万8250人の大観衆を動員。現在は跡地に富士通スタジアム川崎が建てられ、会場内にはFMW展示コーナーも設けられている。すでに会場の視察もしたという大仁田は、「アメリカンフットボール及びサッカーの試合があるもんですから、そのへんの予定調整がまだ決定的なものが決まってないんですが、僕としては10月中に川崎球場でやりたいという意向はあちらの方に投げかけてます」と話した。

 さよならマッチは「還暦電流爆破で終われれば本当に本望」と邪道流で飾るつもりだ。気になるのは最後の相手だが、大仁田は「自分の理想としては、やりたいなと思う選手は佐山サトル、タイガーマスク及び柔道の小川選手。猪木さんの後継者でもありますから」との希望を口に。「誰かが引き継いでくれるものと信じてます。そういった部分では田中選手とも一回戦わないといけないなと思ってます」と愛弟子・田中将斗との師弟対決も見据えた。

 先の全日本11・27両国大会では渕正信との同期コンビで第100代アジアタッグ王者に君臨。亡き盟友・ハル薗田さんに捧げた最古のベルト獲りで、大仁田は「さよならまで巻き続けていたい」と宣言。「生涯の夢」としてアメリカでの爆破マッチ実現も掲げ、ECWを主宰するトミー・ドリーマーにその意向を伝え、「実現に向けてやっていく」との返答があったことも明かした。

 邪道としてプロレス界に常に話題を振りまいてきた大仁田。還暦を迎える来年10月に最後の花火をぶち上げることになりそうだ。


【会見の模様】
▼大仁田「もう今年で43年目になりますから。引退という言葉はあまりにも使いすぎて、うそだとか詐欺だとかいろいろ言われていますが、本当に申し訳なく思っております。ただ、年間一番試合をやった時は年間260試合やった時期もありましたし、言い訳なんですけど、毎日メインイベントを張って血を流してると、体力的にもつらくて。あぁ、これが限界かなと思って。これが限界かなと思うと、プロレスが大好きなもんですから、またもう一回戻りたいなって気持ちになって。それを繰り返してるうちに…。来年60歳、還暦を迎えますので、自分の中でケジメと、これが自分の最後のリングの引き際かなと思いまして。引退という言葉は使いませんから。『さよなら大仁田、さよなら電流爆破』という記者会見にしました。僕は全日本プロレスで育って、全日本プロレスから引退をしまして、今のところ体中の傷っていうか、縫合した傷がただいまのところ1442針。これはあくまで医者と話っていうか診断書は取ってませんけど、自己申告で1442針の傷を今のところ負っております。来年10月をめどにさよなら大仁田、さよなら電流爆破。ここには書いてませんけど、イジメ撲滅全国ツアーというのはですね。ZERO1の大谷選手がもう11年目に突入するんですけど、ZERO1の試合の中で大谷選手が11年続けておられて、僕が4年。強い人はいじめなんかしないぞということで全国を回りまして、市長さん、町長さん、県知事を表敬訪問して、イジメ撲滅について意見を交換したりしてたんですけど、大谷選手はずっとこのイジメ撲滅を掲げて11年間やられてたことに凄く共感しました。僕も4年間ずっと回らせていただいたんですけど、これを引き続き全国で電流爆破を見てない地域にも来年一年間の間に回っていこうかなと。いろんなことを言われると思いますが、それを覚悟でやってますので。今回は自分の人生の中でプロレスというリングを降りなければならないと感じました」

――10月の誕生日を前にさよなら興行をやる可能性もある?

▼大仁田「10月というのは僕の誕生日で、10月25日が誕生日なんですが、今のところ歴史のある川崎球場を訪れたんですけど、今、正式名称が富士通スタジアム川崎を視察してきたんですけど、アメリカンフットボール及びサッカーの試合があるもんですから、そのへんの予定調整がまだ決定的なものが決まってないんですが、僕としては10月中に川崎球場でやりたいという意向はあちらの方に投げかけてますので。多少、変更はあるかもしれませんが。還暦電流爆破で終われれば本当に本望です。いみじくも渕&大仁田が組んで両国国技館でアジアタッグ第100代アジアタッグを獲れた記念すべき日。そして昨日が僕らの同志であるハル薗田こと薗田一治選手の命日だった。ここで席を借りて一言…永源さんが昨日亡くなったという訃報を聞いたんですけど、僕は永源さんとはあまり付き合いはなかったんですが、新日本プロレスにおられた時に小鹿さんや大熊さんたちがよくしゃべっていたことを記憶しています。本当に心からお悔やみ申し上げます。先日も言ったんですけど、第100代のチャンピオンを獲れたということで、さよならまで巻き続けていたいなと。僕は思うんですけど、そのベルトの価値観というのは巻いた人間の生き様だと思ってますので。その生き様をどこまで表現できるか。昨日はたまたま雑誌のインタビューがあって、渕さんと一緒にいたんですけど、昔のことを語り合ったり、園田選手のことを語り合ったりして、久しぶりに2時間ほどずっとお茶を飲んで語り合ったんですけど。一応、来年の10月をめどにしております。予定地は川崎球場。手元の資料にありますけど、(会場内に)記念ブースがありまして、張本(勲)さんの三千本安打とか、王(貞治)さんの何百号のホームランボールとか全部飾られていて、僕が元の川崎球場でレコードを持ってます。5万8250人というレコードを持ってるもんですから、記念ブースがありまして。5月5日が本当はいつも恒例になってたんですけど、10月をめどにということで、5月は(予定が)入ってるということで、10月をめどに最後の戦いを終えたいなと思います」

――最後の試合の対戦相手、試合形式で現時点で考えているのは?

▼大仁田「電流爆破以外は考えてませんので。名称は還暦爆破です。自分の理想としては、やりたいなと思う選手は佐山サトル、タイガーマスク及び柔道の小川選手。猪木さんの後継者でもありますから。元横綱の曙さんに関しても1勝1敗で終わってますので、決着戦ということも考えられると思うし。それから後継者につきまして、ハードコアという僕のテープ一本でサブゥーがアメリカにもって行きまして、ECWという団体ができた。それが世界中に広がり、ハードコアという一つのジャンルが出来上がった。来年中にはアメリカに進出したいなって。今、トミー・ドリーマーがECWをやってるんだよね、プロモーションを。ハードルが高いんですけど。組合とかユニオンの問題がありますので、ハードルは高いんですけど、生涯の夢として実現に向かって一歩一歩進んでいこうかなって。それがプロレスファンに対する僕の申し訳ない、ごめんなさいって、ある種、全国ごめんなさい、イジメ撲滅ツアーみたいなものですから」

――アメリカ進出が実現したら電流爆破を持っていきたい?

▼大仁田「持っていきたいですね。アメリカでもこの間もそうですけど、しょっちゅうインディペンデントの人たちからサイン会に来てくれとか、この間もサイン会に呼ばれたんですけど、国内の試合だけで今150試合ぐらいやってるもんで、なかなか行けなくて、タイミングが合わなくて。試合が入っていたもんですから。よく招待されますね。アメリカにはアメリカのハードコアファンがいますので。この間トミー・ドリーマーとお話したんですけど、本人からは『実現に向けてやっていく』という返事だけは。どういう形にしろ、電流爆破を持っていきたいという意向は伝えました」

――さよなら興行はZERO1、ファイヤープロレスなどとは別枠で開催する?

▼大仁田「ZERO1さん及びファイヤープロレスさん、FMWさん、全員に協力していただいて。ある種、全日本プロレスさんもそうですけど、協力していただいて、さよなら大仁田実行委員会っていうのをちゃんと作りたいなって今やってるもんで。そのうちできましたら発表します。どこどこがやるとなるといろいろなものが出てくるんで。今からさよなら大仁田厚実行委員会というのが運営していくと思います」

――ほかに対戦したい相手は?

▼大仁田「僕はこの間、たまたま曙選手と田中選手の試合を見ていて、凄く感じたんですけど、誰かが引き継いでくれるものと信じてます。そういった部分では田中選手とも一回戦わないといけないなと思ってます」

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