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6/11【Fortune Dream】北原が同期・小橋のプロデュース興行で引退 30年の格闘人生に幕

☆小橋建太プロデュース『Fortune Dream 5』東京・後楽園ホール(2018年6月11日)
北原光騎デビュー30周年記念&引退記念試合 ○スーパー・タイガー&丸藤正道vs長井満也&北原光騎×

 北原が同期・小橋のプロデュース興行で万感の引退。30年間の格闘人生に幕を下ろした。

 北原は佐山サトルが設立したスーパータイガージムのインストラクターを経て、全日本プロレスに入団。88年4月にデビューした。小橋の同期にあたる。その後、天龍源一郎を追うようにしてSWS、WARで活躍。近年はキャプチャー・インターナショナルの自主興行を定期的に開催し、試合数は少ないながらもリングに上がってきた。しかし、病気や交通事故の影響もあって体調が思わしくなく、引退を決意。そこでデビュー30周年の節目で、同期の小橋が引退の舞台を用意した。北原はスーパータイガージム時代の教え子・長井と初タッグを結成し、学生時代に同ジムに通っていた丸藤、キャプチャーの王者であるS・タイガーを迎え撃った。

 大声援を受けて北原が登場すると、無数の桃色紙テープが宙を舞う。全日本の青柳優馬や野村直矢をはじめ、キャプチャーに参戦している若い選手たちがセコンドについた。のっけから先発した北原はS・タイガーと激しい打撃戦で火花を散らすと、強烈なスピンキックをぶち込み、KO寸前に追い込んだ。

 一旦は長井にタッチを渡すが、再びリングに入ると、丸藤の眼前でS・タイガーにまさかの不知火を敢行。すぐさま丸藤がカットに飛び込み、両者はリングと場外に分かれてにらみ合う。その後も北原と長井は初タッグとは思えぬ好連係で試合をリードした。

 長時間捕まったS・タイガーだったが、丸藤が登場すると、長井相手に一気に巻き返す。控えの北原に「本物を見せてやる」と言い放ち、不知火の体勢に。だが、こらえた長井はキチンシンクを見舞うと、北原にスイッチした。

 北原は逆水平を一閃。負けてなるものかと丸藤も打ち返し、激しいラリーを繰り広げる。北原はフランケンシュタイナーを披露。WARスペシャルでギブアップを迫った。S・タイガーともド迫力の打撃戦を展開。長井と合体し、連続串刺し攻撃から長井の魔界ドライバー、北原のランニングローキックが連続して決まった。

 さらに、北原は蹴り足を掴んでフィッシャーマンバスターをズバリ。師匠・天龍譲りのパワーボムへ。だが、背後から丸藤がトラースキックを一閃。棒立ちになった北原に丸藤が虎王をぶち込むと、S・タイガーもローリングハイキックを見舞った。フォールを返して意地を見せた北原だったが、S・タイガーは容赦なく顔面を蹴り飛ばして3カウントを奪い去った。

 キャプチャー王者に介錯された北原だったが、笑顔でS・タイガー、丸藤と抱擁を交わす。2人は先輩の手を掲げてねぎらうと、場内は「北原」コール一色に。小橋から花束が贈呈されると、スペシャルゲストとして北原の師匠である初代タイガーマスクが登場。記念のマスクを贈ると、「北原君、祝引退…といっても、格闘技人生、プロレス人生悔いなくやってこれましたか? その誇りを後輩に託して、皆さんこれからも北原君を応援してください」と弟子をねぎらった。

 記念撮影が終わると、引退の10カウントゴングが打ち鳴らされる。当初は10カウントまで固辞していたという北原はあえて言葉を発さず、四方の観客席に深々と頭を下げて、30年間のプロレス人生に終止符を打った。

 「最後の一発は効いたっすね。脳が震えたんで。フラフラしてるし。久しぶりですね、こういうのは」とバックステージでは立っているのがやっとという状況の北原だったが、「本当に30年間ありがとうございました。天龍さんは引退の時に『腹一杯のプロレス人生だ』って。俺は昨日まであんまり腹一杯じゃなかったけど、今はもう無理矢理食わされたみたいな…。もう食べたくないよって感じですね」と今の心境を語り、「本当にこうやって佐山さんまで来てくれると思わなかったし。この世界で30年間もやってこれたというのは幸せだなと思います。『ありがとうございました』の一言ですね」と最後まで感謝の言葉を口にしていた。

【試合後の北原】
――最後の試合を振り返ると?

▼北原「最後の一発は効いたっすね。脳が震えたんで。フラフラしてるし。久しぶりですね、こういうのは」

――30年というプロレス人生に終止符を打ったが、今の心境は?

▼北原「もう無理だなと思いましたね。若い人にはついていけないと思いました。体重も落としましたしね。力では勝てないと思いました。天才・丸藤とやってみて、まあ、上手いっすね」

――源流が同じ4人の対戦となったが?

▼北原「頭固いのは僕が一番なのかも。みんな応用がきいてね。丸藤は違いますね。やっぱり上手い。やりにくいしね。でも、あえて僕がオーダーしたんでね。スーパータイガージムの生徒たちとやりたいっていうふうに。でも、よかったですよ。最後にやれて」

――30年間、応援し続けてくれたファンにメッセージを

▼北原「本当に30年間ありがとうございました。天龍さんは『腹一杯のプロレス人生だ』って。俺は昨日まであんまり腹一杯じゃなかったけど、今はもう無理矢理食わされたみたいな…。もう食べたくないよって感じですね。本当にこうやって佐山さんまで来てくれると思わなかったし。この世界で30年間もやってこれたというのは幸せだなと思います。『ありがとうございました』の一言ですね」

――「まだやれる」という声も飛んでいたが?

▼北原「無理っすよ。体力的にも無理ですよ。心臓も悪いしね」

――実際、交通事故に遭うなどいろいろあって、引退自体が長引いていた。フェードアウトという形ではなく、引退試合ができたことについては?

▼北原「小橋のおかげですね。今は立場的に小橋さんと呼んでもいいけど、俺は今、小橋建太という友達として。小橋がいたから、カッコつけさせてもらったし、本当は黙って辞めてね。引退式とかやらないから、10カウントなんてもってのほかって。でも、10カウントだけは絶対外せないとスタッフに言われて。それは僕のほうがあえて折れさせてもらって。皆さんにきっちり挨拶できてよかったと思います」

――ピンクの紙テープがたくさん飛んでいたが?

▼北原「凄い嬉しかったですね。あそこまでもらったのはないですからね」

――30年間で一番思い出に残っていることは?

▼北原「やっぱり天龍さんの引退かな。自分のことはあんまり残ってないですもんね。やっぱ天龍さんにずっとついて回って、見させてもらって。それ以外ないかな。自分のことではあんまりないですね」

――菊地選手がいれば三羽ガラス勢揃いとなったが?

▼北原「彼が来るかなと思ってたけど。花は来てたんで。あとでお礼の電話を入れておきます」

――各団体の選手がキャプチャーのTシャツを着てセコンドに付いていたが?

▼北原「そうですね。青柳優馬も『セコンド付かせてください』って。渡瀬瑞基なんかもね、『付かせてもらいたい』と言ってもらえた時に、『団体の長に言って許可をもらいなさい』というと、すぐもらってきて。高木社長からも連絡もらったしね。あと、秋山社長も『一緒のTシャツを着て、送ってやれ』と言ってくれたみたいなんで。本当に団体の皆さんに感謝してます。みんなフリーですからね。うちの選手じゃないから。それでもこうやって来てくれて、凄く嬉しいです。ありがとうございました。また会う日まで(笑)」

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