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6/11【Fortune Dream】「天山が悪い」 小橋が蝶野とトークバトルで15年ぶり“一騎打ち"、非情首攻めを必死に弁明?

☆小橋建太プロデュース『Fortune Dream 5』東京・後楽園ホール(2018年6月11日)
スペシャルトークバトル △小橋建太vs蝶野正洋△

 小橋と蝶野が15年ぶりにトークバトルで“一騎打ち"。15年前に対戦した際の非情な首攻めを小橋が必死に弁明した。

 これまで小橋は『Fortune Dream』で長州力、天龍源一郎、佐々木健介、豊田真奈美とトークバトルを行ってきたが、今宵は“黒のカリスマ"蝶野と20分1本勝負で対峙した。

 小橋と蝶野は90年代以降のプロレス界をけん引してきた中心的存在。小橋は全日本プロレスの四天王として、蝶野は新日本プロレスの三銃士として活躍した。当時、交わることはないかと思われたが、ノア旗揚げ後に接点が生まれ、2003年1月のノア・日本武道館大会で三沢光晴&蝶野vs小橋&田上明が実現。さらに、同年5月の新日本・東京ドーム大会では一騎打ちを行い、小橋が勝利してGHCヘビー級王座を防衛した。また、2009年10月の蝶野25周年興行では、武藤を加えたトリオも実現している。

 小橋がGHCヘビー級王者時代のテーマ曲「BLAZIN」、蝶野が「CRASH」で入場するといやが上にも場内は盛り上げる。小橋はGHCの“マイベルト"を肩にかけ、タイトルを懸けてのトークバトルとなった。

 15年ぶりの“対戦"に「15年も過ぎているんで前は前ですけど、凄く強烈に印象に残っています」(小橋)、「ついこの間のような感じがしますけどね」(蝶野)と感慨深げ。蝶野は「あの頃はホームとアウェイがギリギリありましたね」と振り返ると、「今日もアウェイ感を感じる」とこぼしたが、場内からは拍手が発生。笑みを浮かべた蝶野は、反体制を貫いた当時の自分を差し置いて、「やっぱりさ、争い事はよくないよ。新日本プロレスは争い事ばっかりだったから」と言い切り、場内を沸かした。

 話は当時の新日本が置かれていた状況に。2002年5月に新日本東京ドーム大会で蝶野は三沢さんと一騎打ちを行ったが、「あれがなかったら新日本は潰れた」と断言。隆盛を迎えた総合格闘技へのライバル心もあり、翌年の小橋参戦が実現したという。

 2人の戦いで語り草になっているのは、首を痛めていた蝶野に対する小橋の非情なハーフネルソンスープレックス連発だ。小橋は「あれは天山選手が悪いんです。天山がエプロンに上がって、タオルを投げようとしたんですよ『俺たちの勝負を邪魔するな、出て行け』と言って、蝶野さんを引きずり下ろして…。俺の心にいけない気持ちを出させたのは天山さんなんです」と必死に弁明。蝶野は「もう少し思いやりがあってもいい」とこぼすばかりだったが、「あの頃の猪木さんは必ずプロレスの試合にいちゃもんつけるんですよ。『なんだあの試合は?』、『なんだあの選手は?』って。でも、俺らの試合には何も言わなかった。俺らはあの試合でプロレスが上だと、猪木さんとの戦いに勝ったと思いました」と宣言すると、場内は拍手に包まれた。

 蝶野が対戦した時に感じたのは小橋の頑丈さ。「小橋選手のバキバキの身体は怖かった」と振り返った。一方、小橋が感じたのは蝶野の受け身の上手さ。「新日本が攻めのスタイルとか、全日本が受け身のスタイルとか言うじゃないですか。蝶野さんと試合をやってて感じたのは、受け身が上手いんですよ。だから、この人は大丈夫だな、何をやっても大丈夫だなという感じがしたんです」と対戦時の厳しい攻撃を再び弁明した。

 小橋の印象から、トークは京都人の気質に飛び火。蝶野は後輩の天山広吉や中西学を含めて「京都の人間は絶対に信用できない」と糾弾すると、「たぶん小橋君も『蝶野さんありがとうございました』って言いながら、『なんであの人はあんなに喋ってんだ。俺の喋る時間がないじゃないか』って絶対言ってるんだよ。天山がそうだよ」とまくし立てた。またまた弁明を余儀なくされた小橋は「天山、中西は市内のほう。僕とか中邑(真輔)君は田舎なんです」と強調していた。

 その他にも橋本真也さんの秘話や付き人時代の思い出などトークは大盛り上がりに。20分では時間が足りず、試合は時間切れ引き分けとなったが、観客からは延長を期待する声も飛ぶほどだった。最後は笑顔で握手を交わして終了となった。

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