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8/31【TAKAYAMANIA】永田が高山回復祈願でゼアッ唱和 「もう1回彼と試合したい」

『TAKAYAMANIA EMPIRE』東京・後楽園ホール(2018年8月31日)
○永田裕志&成田蓮vs天山広吉&海野翔太×

 快勝した永田が高山に「高山善廣、このリングに早く帰ってこい。もう1回彼と試合がやりたいです」とエールを送り、復帰祈願の「ゼアッ」を決めた。

 新日本プロレス提供試合として、永田&成田組と天山&海野組が激突した。永田と天山は、2000年代初期から新日本で外敵として暴れ回っていた高山と幾度となく激突。IWGPヘビー級王座を懸けても対戦しており、永田との一戦は2002年のプロレス大賞ベストバウトを受賞している。

 のっけから永田と天山が先発。元気いっぱいに打撃戦を繰り広げる。エルボー合戦で火花を散らすと、永田がローキックで蹴りまくるが、天山は負けじとモンゴリアンチョップで反攻した。

 その後、試合は成田が捕まる展開に。海野が何度も控えの永田を襲撃。キレた永田がパイプス片手にリングに上がり込む場面も。荒ぶる永田はカットに入ると、成田にまでストンピングを浴びせてゲキを飛ばした。

 成田がカウンターのドロップキックを天山に浴びせると、やっと永田が登場。鬼の形相でミドルキックを3連射する。串刺しフロントハイキックやフェイント式低空ドロップキックもお見舞い。天山のマウンテンボムを食らっても、エクスプロイダーですぐに投げ飛ばした。

 その後、若い海野が猛攻に出るも、永田はキッチリと受け止める。丸め込み連発に慌てる場面も見られたが、カウンターのキチンシンクでリズムを取り戻す。海野張り手連打を仁王立ちでしのぐと、豪快なミドルキックを一閃。最後はバックドロップホールドで3カウントを奪い去った。

 高山に見せつけるような快勝をあげた永田は、マイクを持つと、「高山善廣は今から16年前、新日本プロレスにたった一人で殴り込みに来ました。帝王という名に恥じぬ、それはそれは強くて、驚異的な選手で、僕らは何度もピンチにさらされました。僕はそんな高山善廣の本当の強さを知っています。高山善廣は必ずこのリングに帰ってくると信じてます」と力強く断言。「永田裕志は今年50になりましたが、まだ10年、20年、30年健在です。高山善廣、このリングに早く帰ってこい。もう1回彼と試合がやりたいです」と再戦を呼びかけた。

 そして、最後に「もう一度、彼と目一杯、やりあって、殴り合って、叩き合って、ぶっ飛ばして、試合をすることを祈願して…皆さんご唱和ください」と呼びかけ、「1、2、3、ゼアッ!」と敬礼ポーズを決めた。

 バックステージでも「高山選手、いや、高山善廣。もう1回やろうよと。彼とは2勝2敗なんですよ、シングルマッチで。決着付けようよ。今はそういう思いでいっぱいです」と呼びかけた永田。「彼なら『お前なんかに言われなくたって、俺は堂々とこのトップロープを跨いでやるから』って、きっとそう思ってるはずです」とメッセージを送った。

【試合後の永田&成田】
▼成田「高山さんは僕がプロレスをやる前から凄い選手だってことは知ってたんで。その選手のために今日は試合ができて、凄く光栄です。ありがとうございました」

▼永田「さっきも言いましたけど、15年、16年前に彼が1人で新日本プロレスに殴り込んで来た時は、正直脅威でしたね。1人で来る高山は。一度倒しても、また立ちはだかってくるというか、1回負けたぐらいではめげない。そういう強さがやっぱりあって。世の中の後押しを受けて、本当に脅威でした。彼との戦いというのは、当時の新日本本流のストロングスタイルというか、魂をぶつけ合う殴り合い、そういうものが本当にできてた気がします。今から6年ぐらい前に久しぶりにG1でやりましたけど、やっぱり魂のぶつかり合いという部分では、変なところに共鳴し合うというか。高山選手は新日本じゃないんだけども、そういう部分ではもしかしたら近いのかなと思えるような戦いができたのを覚えてます。本当の彼の強さをよく知ってますんで。彼なら、何か奇跡なり…いや、奇跡と言っちゃいけないな。それが当たり前のように、ベットから起き上がって、このリングに歩いてくるんじゃないかと。堂々と胸を張って、大股開きで、彼らしくリングに上がってくるんじゃないかなって。それを本当に心から願ってますし。たぶんこんなことを彼に言ったら、『そんなの当たり前じゃねえか。裕志、黙ってリングを磨いて待ってろ』なんて言うかもしれないですけど。だからこそ、今日は新日本の戦いっていうのをリングで披露したつもりです。新日本プロレスの真ん中に立っている、戦いのスピリットというか、そういうものは私自身にしっかり根づいて、大きくなってますから。その中でも、僕はまだまだ、さっきも言いましたけど、10年、20年、30年、健在でいますんで。高山選手、いや、高山善廣。もう1回やろうよと。彼とは2勝2敗なんですよ、シングルマッチで。決着付けようよ。今はそういう思いでいっぱいです。彼なら、『お前なんかに言われなくたって、俺は堂々とこのトップロープを跨いでやるから』って、きっとそう思ってるはずです。それを楽しみにしています。そんな思いを込めて、今日は試合をしました」

――2002年から2003年にかけて、間違いなく新日本プロレスは永田時代と高山時代が同時進行していたように思うが、そういう意識はある?

▼永田「ありましたよ。選手が抜けて、30周年を迎えた時、僕が本流として、彼は強大な外敵としてね。2002年、2003年、5月の東京ドームのメインでやったから。そして、当時期待してくれていた大衆に対して、しっかり戦いというものを見せた。そういう戦いがあったから、新日本は生き残って、今の隆盛をまた迎えられたと思ってます。あの時、俺であり、高山が堂々とメインで戦ったことが、新日本の根底の土台となって、今の新日本があると。そういう自負があります」

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