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10/22【G馬場23回忌興行】G馬場23回忌追善興行2・4後楽園で開催 和田京平レフェリー&木原文人リングアナがプロデューサーで新日本&全日本も協力

 『ジャイアント馬場23回忌追善興行』2・4後楽園大会の開催が22日、東京・新橋のジャイアント馬場バルにおける会見で発表された。和田京平レフェリー、木原文人リングアナウンサーがプロデューサーとなり、新日本と全日本も得ての開催で、主催する株式会社H.J.T.Productionの緒方公俊代表は「プロレス興行としては最後とし、ジャイアント馬場の冠がついた集大成の大会をしたい」と誓った。

 1999年1月31日、ジャイアント馬場さんが亡くなってから2021年で21年。23回忌追善興行が2・4後楽園大会で開催されることになった。主催するのは株式会社H.J.T.Production。昨年、ジャイアント馬場没20年興行2・19両国、ザ・デストロイヤーメモリアル11・15大田区の両大会を開催した実績があり、現在、東京・新橋でジャイアント馬場バルを運営している。

 公俊代表は「今後も催事でしたりとか、馬場バルを通して馬場さんを昔から知っている方、知らない方に向け、馬場さんと触れ合える場所、知っていただける場所を作っていきたい」と考え、「来年の23回忌興行でプロレス興行としては最後とし、ジャイアント馬場の冠がついた集大成の大会をしたく思っております」との意向を示したうえで意気込んでいる。

 大会プロデューサーは京平名誉レフェリーと木原リングアナが務める。馬場さんの側近であった京平レフェリーは「馬場さんを知ってる人に来てもらいたい」と希望している。そこで「昔の全日本プロレスの雰囲気を出したい。なかなか出せるもんじゃないんですけどね。でもね、スタッフがそういう気持ちならば、昔の全日本と変わらない会場になると思います。温かい、楽しい、でも激しい。これが馬場さんだったんですよ。だからそういう大会に何とかしたいと思います」と誓うばかり。「来てくれるお客さんによかったなって言ってもらいたい。絶対後悔させない後楽園ホールにしたい。ファンを裏切らない興行にしたい」と馬場さんと同じファン第一の姿勢で臨む構えを見せた。

 出場選手、対戦カードは未定だが、過去2大会と同様に、新日本、全日本の協力を取り付けた。自ずと交流戦が期待されるところで、木原リングアナは「希望としては新日本プロレス様と全日本プロレスさんでこう何か」と両団体の絡んだカードを組むつもり。一方で「後楽園ホールのどっか通路とかに僕は馬場さんが見に来てるんじゃないか。そういう雰囲気を、忘れられている懐かしい全日本プロレスの雰囲気を、馬場さんのプロレスの雰囲気を出せれば」と京平レフェリー同様、往年の全日本を再現するような空気作りを見据えた。

 2月4日は1982年、馬場さんがスタン・ハンセンと東京体育館と初対決した時と同じ日。奇しくも当時と同じ木曜日の開催となる。当日は82年の年間最高試合賞に選ばれたこの名勝負を再現するような企画も予定されている。昨年2・19両国大会では豪華ゲストが好評を博したが、今回はコロナ禍の開催とあって、海外からの招へいが困難となりそう。それでも京平レフェリーはスタン・ハンセンら具体名を挙げたうえで「コロナだから呼べないじゃなくて、呼びたいとは思ってます。ただ、やっぱりコロナで難しい部分があるんで、そのへんははっきり言えませんけど、呼ぶ方向です」との意向を示した。また、PWF会長ドリー・ファンク・ジュニアが全面協力を約束。「父シニアを含め我々ファンク一家とミスター馬場は固い絆で結ばれています。ミスター馬場とはライバルであり、よき仲間でもありました。初来日の1969年から日本で長くファイトできたのはミスター馬場のおかげです。ミスター馬場のためでしたら何でもご協力いたします」とメッセージを送ってきた。

 馬場さんを偲ぶ2・4後楽園大会。今現在のプロレスと馬場さんが作った往年の全日本が同居する豪華な大会となる。


☆2/4(木)東京・後楽園ホール『ジャイアント馬場23回忌追善興行』17:30開場、18:30開始

[主催]
株式会社H.J.T.Production

[大会プロデューサー]
和田京平名誉レフェリー
木原文人リングアナウンサー

[参加協力団体]
新日本プロレス
全日本プロレス

[チケット料金]
・リングサイド:15000円
・指定席A:10000円
・指定席B:7000円
※当日券は各席種500円増

[チケット発売日]
▼イープラス最速抽選先行受付
10月24日(土)12:00〜11月3日(火)18:00
▼先着先行受付
11月14日(土)12:00〜11月23日(月)18:00
▼一般発売日
11月29日(日)10:00

[問い合わせ先]
株式会社H.J.T.Production
代表取締役 緒方公俊
080-6890-1901
ogata.kimitoshi@hjt.production.com


【会見の模様】
▼公俊代表「世界の巨人ジャイアント馬場がこの世を去り、今年で21年。来年23回忌を迎えます。そこでジャイアント馬場23回忌追善興行の準備をし、本日発表にいたりました。まずはじめに私の方から開催の経緯をお話しさせていただきます。ジャイアント馬場の妻・馬場元子はもっと馬場さんと触れ合える場所を作りたい。飲食、催事、プロレス興行を通して。昨年2月、両国で没20年の追善興行をやらせていただき、今年、ここ新橋でジャイアント馬場バルをオープンいたしました。今後も催事でしたりとか、馬場バルを通して馬場さんを昔から知っている方、知らない方に向け、馬場さんと触れ合える場所、知っていただける場所を作っていきたいと思っております。ただ、来年の23回忌興行でプロレス興行としては最後とし、ジャイアント馬場の冠がついた集大成の大会をしたく思っております。つきましては来年2021年2月4日、後楽園ホールにてジャイアント馬場23回忌追善興行の開催を正式に発表いたします。また開催にあたりまして、旗揚げ当初から全日本プロレス、馬場さんを支えてきた和田京平名誉レフェリー、並びに木原文人リングアナウンサーにも大会プロデューサーとしてお力をお借りすることも併せて発表いたします」

▼緒方理咲子取締役「思い返せばなんですけども、私が中3の時です。14歳の頃に叔母から『六本木のビルにいらっしゃい』と。六本木のインターナショナルビルにセーラー服を着て行きました。そこにいたのがジャイアント馬場、馬場正平でした。叔母から『叔父さんよ』と紹介され、『この人が私の叔父さんになるんだ』と思ったのが1972年。それからはるかに本当に時間が経ち、48年の歳月が流れたんだなと今しみじみ感じております。そして自分がずっと小さい時から叔父、叔母のもとに赤坂、恵比寿に越してからも結構一緒にいる時間が多く、そしてその間に全日本プロレスがどんどん大きくもなり、1998年12月、叔母から急に家族が呼び出され、『今日からこの恵比寿の9階にあなたたち一緒にいて頂戴』と。何事が起きたかと思ったら叔母から馬場さんは…と聞きました。代表をしております公俊ともども家族で9階にいて、1998年から1999年にわたる年末年始、最後になります外泊許可が出て、新宿の病院から、あれは4日間ぐらいでしたかしら。恵比寿の方に叔父が戻ってまいりました。その時の1月2日の光景が本当に私の中でまだ忘れられなくて。叔父は生涯現役をうたっておりましたので、このまま、また自分は復活して皆様の前に立つという本当に固い使命のもとにいました。叔母はこの先どれぐらいの命なのかお医者様から聞いておりますので、ハラハラドキドキなわけです。この期間、家に帰らせたい、でも帰す時に何かがあったらどうしようと不安になって、今回ご一緒下さる和田京平レフェリーにもそういう弱みを時折、叔母は見せておりました。でも叔父は自分のことを何も知らないので、せっかく家に帰ってきてるんだからトレーニングをすると。ステップマシーンというんでしょうか。足を上下する運動をホントにフラフラになりながらしていて、叔母は本当はやめさせたいわけです。でもそれを言っちゃうと叔父が変に思う。というところでリビングの方で半分泣きながら、でも叔父の思いをちゃんと受け止めてというところが私の中で恵比寿の家で共に過ごした凄く印象的な時間です。その日が叔母のお誕生日でもあり、和田京平レフェリーや仲田龍リングアナがバースデーケーキをいつものように持ってきてくださって、家で叔父含め叔母に対してハッピーバースデーを歌ったのが恵比寿での叔父の最後の日だったなと改めて感じます。叔父が亡くなってから叔母が18年、19年、気丈に振る舞い、馬場さんというものを伝えていきたいということを常々言ってきた中、叔母にとって『来年が没20年よね』『馬場さんの23回忌もあるわよね』と。京平さんは私より3つ上ですし、木原さんも50代ですけど、叔母の中ではいつまでもボーイです。『何かあったら京平やらオヤジに相談しながら』とか、『いろいろアイデア持ってるから』とか言っておりました。いわゆる叔父、叔母にとってはボーイズの方々の力を借りて今日このような場を持たせていただけていることを改めて本当にうれしく思います。今度の大会は去年の2月の興行もそうでしたけど、プロレスの聖地と言われる後楽園ホールで最高の、私からすると叔父、叔母への追悼、並びに叔父が最後まで自分の使命を生き切ったというところから、今このコロナがあったりする中、私たちも最後まで自分の命を生き切るというようなメッセージももったような興行にさせていただけたらと思っております。皆様のお力も拝借しながら当日を迎えたいと思いますので、よろしくお願いします。ありがとうございます」

▼京平レフェリー「何かしんみりしちゃうんですね、馬場さんを見るとどうしても。来年23回忌というこの興行をプロデューサーとして和田京平、木原の名前が出たんですけど、いつまで応援できるのか。でも我々でなきゃできないんですよ。俺と木原じゃなきゃ今。頑張ってられるのは今だけ。だからこの23回忌にかけてます。この23回忌の後楽園、小さな後楽園ホールかもしれないけど、この後楽園ホールを馬場さんを知ってる人に来てもらいたいんですよ。何とか昔の全日本プロレス、ジャイアント馬場、明るく楽しく激しく。これを知っている人が何人いるか。マッチメークにしてもそうですけど、そういうのをプロデュースしたい。来てくれるお客さんによかったなって言ってもらいたい。絶対後悔させない後楽園ホールにしたい。23回忌、一生懸命頑張ります。私もレフェリーとしてやっていけるのかっていうぐらい。でもやらなきゃいけないんです。馬場さんのために、元子さんのために。だからこの後楽園ホールに集まってくれる人たちに思い出してほしい。本当に集まってください。この一言です。この23回忌のイベント楽しみにしてください。記者の人が楽しんでくれるということは、ファンはもっと楽しめるはずです。関係者が喜べるようなプロレス興行をしたいと思います。何とか昔の良きプロレスを思い出しながら馬場興行をしたいと思います。本日は皆さん、ありがとうございました」

▼木原リングアナ「今回もジャイアント馬場さんの大会にご指名いただき、誠にありがとうございます。元子さんの生前に20年の大会とかやれたらいいなというお話を後々聞きまして、京平さんと僕に何かやってくれという話を聞いてですね、使命感というか。それで昨年、馬場さんの大会、デストロイヤーさんの大会と頑張ってまいりました。そして23回忌大会。奇しくも2月4日というのは馬場さんとスタン・ハンセンが初めて戦った東京体育館の大会と同じ日。曜日も同じですかね。何かの因縁とは思いますけど、先ほど京平さんも言っていたように、後楽園ホールのどっか通路とかに僕は馬場さんが見に来てるんじゃないか。そういう雰囲気を、忘れられている懐かしい全日本プロレスの雰囲気を、馬場さんのプロレスの雰囲気を出せればなと思って、2月まで頑張っていこうと思ってますので、何卒よろしくお願いします」

▼公俊代表「参加選手はまだ未定となっておりますが、新日本プロレスさん、全日本プロレスさんからも協力をいただいており、各団体から数名参戦していただく予定となっております。それ以外の参加選手並びにカードに関しては決まり次第、追ってお知らせさせていただきます。先ほど木原さんからあった通り、38年前の1982年2月4日、ジャイアント馬場vsスタン・ハンセン初対決が行われた日。奇遇にも当時と来年も2月4日で同じ木曜日。縁を感じていて、当時は年間ベストバウトと言われ、ファンの方々にも未だに語り継がれている名勝負となっております。当日は何かしらの形でジャイアント馬場vsスタン・ハンセンを再現できればと思っております。今大会もPWF会長ドリー・ファンク・ジュニアさんからも協力をいただいております」

▼大隅良雄氏「全日本プロレスが旗揚げして全面協力してきたのがファンクスの父、ドリー・ファンク・シニアであり、そのシニアが旗揚げ1年後に亡くなってしまったあとは、ザ・ファンクス、ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンクがずっと馬場さんの全日本を支えてきたと思います。そのドリーさんとこの興行が開催される話をした途端に『私にできることがあったら全面協力したい』という旨をいただきまして、本日簡単ではありますがメッセージをお預かりしてきましたので、そのまま読まさせていただきます」

▼ドリーPWF会長のメッセージ「日本の皆様こんにちは。ドリー・ファンク・ジュニアPWF会長です。来年2月、ミスター馬場のメモリアルショーを開催します。私も協力いたします。父シニアを含め我々ファンク一家とミスター馬場は固い絆で結ばれています。ミスター馬場とはライバルであり、よき仲間でもありました。初来日の1969年から日本で長くファイトできたのはミスター馬場のおかげです。ミスター馬場のためでしたら何でもご協力いたします。皆様、多大なる応援、ご支援をお願いします。ネバー・クイット、ネバー・クイット、ネバー・クイット」

▼京平レフェリー「どういう大会にしたいか? 馬場さんの大会です。来たら馬場さんがいるんだっていうか、昔の全日本プロレスの雰囲気を出したいと思います。なかなか出せるもんじゃないんですけどね。でもね、スタッフがそういう気持ちならば、昔の全日本と変わらない会場になると思います。温かい、楽しい、でも激しい。これが馬場さんだったんですよ。だからそういう大会に何とかしたいと思います。カードも木原が頑張っていろいろ面白いカードを作っています。あとのお楽しみということなんですけど、損はさせません。馬場さんは必ずいいものは持ってくる。ファンを裏切らない。裏切らない興行にしたいと思います。皆さん、よろしくお願いします」

▼公俊代表「今から48年前の10月21日、馬場さんが作った全日本プロレスの旗揚げ記念日。そして本日10月22日が旗揚げ戦を行った日です。そういう節目の日にこの大会を発表できたことをうれしく思います。プロレスの大会はプロレスラー、レフェリー、リングアナウンサー、リング屋さんはじめ、裏方のスタッフがいないと成り立たない部分はありますが、馬場さんは『ファンがあってこそプロレス』と常々言っておりました。大会当日はファンの方がプロレスっていいな、やっぱりプロレス楽しいなと思っていただけるような日にできるようにしたいと思っております。馬場さんが亡くなって22年になると、正直全員が全員かかわりのある選手に出ていただくのは難しい部分があります。ただ、馬場さんは明るく楽しく激しいプロレス、王道プロレスを掲げて、未だに現役の選手は継承されていると思います。当日は馬場さんが残したプロレスをしっかり見せられるような大会にできたらと思います。2021年2月4日、ジャイアント馬場23回忌追善興行どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました」

――馬場さんにまつわる展示など企画は考えている?

▼京平レフェリー「ホントに考えてますよ。当時、馬場さんと元子さんがキャピトルで食事しながらいろいろ考えて、ファンはこうすれば喜ぶよという話を僕は聞いてましたからね。間近で聞いてましたので、それを思い出しながら、こういうことしたらお客は喜ぶよなとか、こういう対戦カードなら喜ぶだろうとか、そういうのをいろいろ考えながら僕と木原とかスタッフみんなで考えたいなと思ってます。また自由にやっていいような感じなんでね。遠慮しないでどんどん和田京平を出したいと思います」

――昨年2月の両国大会は豪華ゲストが好評だったが、今回もゲストの来場はある?

▼京平レフェリー「ホントにスタン・ハンセンにしても、ドリーさんにしても、太陽ケアにしても来てほしい人はいっぱいいるんですよ。ただね、やっぱりコロナっていうのがあるんで。でも、それを関係なしに、コロナだから呼べないじゃなくて、呼びたいとは思ってます。ただ、やっぱりコロナで難しい部分があるんで、そのへんははっきり言えませんけど、呼ぶ方向です」

――対戦カードは交流戦的な団体の枠を取っ払った形になる?

▼木原リングアナ「希望としては新日本プロレス様と全日本プロレスさんでこう何か。先ほど京平さんも言ってましたけど、時代の流れというか、コロナ禍の中で、やりたくてもやれないこともあるでしょうし、人数制限とか、会場の都合もあるんで、そのへんはあれですけど、追ってですね、いろいろと。普段見られないけど、なぜか馬場さんを感じられたというような雰囲気を作り上げれればなと思ってます」

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