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2/4【G馬場23回忌興行】全日本同窓会マッチで武藤快勝締め “馬場さん超え”誓う 因縁の諏訪魔と小島が和解

『ジャイアント馬場23回忌追善興行』東京・後楽園ホール(2021年2月4日)
○武藤敬司&諏訪魔&小島聡vs天山広吉&カズ・ハヤシ&河野真幸×

 馬場さんの23回忌追善興行のメインで、武藤全日本の同窓会マッチが実現。最後は豪華必殺技リレーで武藤が快勝すると、「馬場さんありがとう」と叫んで大会を締め、ノア2・12日本武道館大会でのGHCヘビー級王座獲りを誓った。また、十年来の遺恨を残していた諏訪魔と小島が握手を交わして和解した。

 武藤(第27代)、小島(第33、40代)、そして最多戴冠記録を持つ現王者の諏訪魔が歴代三冠ヘビー級王者トリオを結成。三冠挑戦経験のある新日本・天山に、元全日本所属のカズ&河野を加えた3人と激突した。

 武藤全日本の同窓会的な一戦は、天山と小島のテンコジ対決で幕開け。エルボーを打ち合うと、天山はモンゴリアンチョップの構えに入るが、グレート-O-カーンとの封印マッチに敗れたばかりのため、寸前で踏みとどまって苦悩。対する小島は「やれよ!」と挑発しながらモンゴリアンチョップを浴びせた。久々の対戦となった諏訪魔と河野、武藤とカズも激しい先制争いを繰り広げる。

 懐かしい顔合わせが次々に実現したが、かつてタッグを組んでいた小島とカズも対峙。小島はマシンガン逆水平、「いっちゃうぞ、バカヤロー」からのダイビングエルボードロップなどで攻め立てる。しかし、カズもハンドスプリングレッグラリアットで挽回すると、リング上は再びテンコジ対決に。発奮した天山は小島のお株を奪う逆水平連打で猛攻。しかし、盟友に負けてなるものかと、小島はローリングエルボーで抵抗。コジコジカッターを繰り出した。

 チャンスにタッチをもらった諏訪魔は天山と真っ向勝負を繰り広げた。フライングショルダーを放つと、「投げるぞ、オイッ!」の雄叫びからラストライドの構えに。しかし、意地の猛牛はリバースすると、ニールキックでピンチを脱する。あとを受けた河野はジャンピングニーで追撃したが、諏訪魔は豪快な左ラリアットを振り抜き、武藤にあとを託した。

 武藤は低空ドロップキック、ドラゴンスクリュー、足4の字固めと足攻めフルコースで畳みかける。天山たちに救出された河野は16文キック(フロントハイキック)、脳天唐竹割り、ランニングネックブリーカードロップと馬場殺法で反撃したが、武藤はチョークスラムをヒザ蹴りで阻止。すかさず武藤組が必殺技リレーに。小島のラリアット、諏訪魔のバックドロップに続き、武藤がシャイニングウィザードを叩き込んで河野を沈めた。

 試合後、マイクを持った武藤は「今日は俺にとって味方の選手も敵の選手も、今は戦うリングが全然違うけど、同じ釜の飯を食った仲間たちで。本当に今、いい空間、心地良い時間だって。これもひとえに馬場さんのおかげだと思っています。馬場さんありがとう!」と天国の馬場さんに感謝。「皆さん、コロナ禍の中、本当に来場ありがとうございます」と観客にも頭を下げた。

 ここで武藤は諏訪魔と小島を見やり、「ところで、俺が最後に見た時、お前ら仲悪かったよな。今日は機能してたよ」と声をかけた。諏訪魔は2010年に小島が全日本を退団した際に痛烈に批判。両者は2017年8月の全日本・両国大会で一騎打ちを行ったが、ジョー・ドーリングの乱入もあって消化不良に。小島が勝利したものの、「こんな悲しい試合をしたのは何年ぶりだ?」と吐き捨て、遺恨は解消されないまま今日(こんにち)を迎えていた。

 意を決してマイクを持った諏訪魔は「こういう時じゃないと言えないから、ちょっと言わせてもらう。小島さん、俺は今までいろんな感情を持ってあんたと接した。だけど、よくこの長い時間感じてきてわかった。俺の間違いだった」と潔く認め、「小島さん、これからは先輩後輩、いい関係でもう1回一緒にお願いします」と右手を差し出した。警戒しながらも小島も応じて2人は握手し、互いに一礼した。

 最後にメインに出場した6人と馬場夫妻の写真を手にした和田京平レフェリーが揃って記念撮影に応じ、大会はハッピーエンドで幕を閉じた。バックステージでは6人揃ってコメントスペースに登場。ノア2・12日本武道館大会でGHCヘビー級王座挑戦を控える武藤はかつての後輩、弟子たちに囲まれて「今はバラバラのリングで活躍しているみんなで、同じ釜の飯を食った仲間たちでね。本当にリング上で言った通り、俺自身、エネルギーをいただきましたよ」と刺激を受けた。

 「この中で一番年長者が俺であって、馬場さんだって60いくつまで現役してたんでしょ? 馬場さんを超えて現役はしていたいよな」と武藤は“馬場超え"に意欲を燃やしたが、そこには「若い子供が生涯やれるスポーツだって、この業界に足を踏み入れる見本になりたい」との思いがある。そのためにもGHCという未戴冠の勲章を獲って健在ぶりを示すつもりで、「やっぱり俺が先頭を切ってるわけだから、みんなに背中を見せてやりたいという部分で言えば、次のGHCで獲って、みんなに俺の大きい背中を見せてやりたい」と誓ってみせた。

 「ここにいる全員、馬場さんと会ったことないだろ」と武藤が言ったように、メインに登場した6人は馬場さんに縁もゆかりもない。それでも全員が全日マットで活躍し、天山を除く5人は全日本の看板を背負って戦った時期もある。諏訪魔は三冠王者として全日本で現在進行形の戦いを繰り広げている。そして全日本OBもたくさん集まった。馬場さんの名前を冠した最後の興行となった23回忌追善興行は、全日本の歴史が詰まった大会となったことは間違いない。

【試合後の武藤&諏訪魔&小島、天山&カズ&河野】
※6人並んでコメント

▼武藤「いやあ、本当に今はバラバラのリングで活躍しているみんなで、同じ釜の飯を食った仲間たちでね。本当にリング上で言った通り、俺自身、エネルギーをいただきましたよ。この中で一番年長者が俺であって、馬場さんだって60いくつまで現役してたんでしょ? 馬場さんを超えて現役はしていたいよな。あと、やっぱり俺が先頭を切ってるわけだから、みんなに背中を見せてやりたいという部分で言えば、次のGHCで獲って、みんなに俺の大きい背中を見せてやりたいと今は思ってます」

▼天山「おぉ、凄い自信ですね!」

▼武藤「でよ、そろそろお前らだって、うば捨て山のように、捨てられそうだぞ」

▼天山「まだまだやりますって。武藤さんいくつですか?」

▼武藤「58」

▼天山「もう60前? こんなバリバリの58歳見たことないですね」

▼武藤「だって、若い子供が生涯やれるスポーツだって、この業界に足を踏み入れる見本になりたいじゃんか。生涯できるっていう。お前らだって俺がいなかったら、新日本プロレスのうば捨て山じゃないの?」

▼天山「いやいや、武藤さんがそんな自信満々に言ってくれるってことは、自分らも励みになりますし。武藤さんの高いところに行きたいなって」

▼武藤「そのために、俺はベルトを獲って、もう一発。その一発獲ったら、あと5年ぐらいまだいけそうじゃんか」

▼天山「ホンマですよ。頑張ってください」

▼武藤「俺からは以上。(写真撮影になると)ここにいる全員、馬場さんと会ったことないだろ?(笑)」

※天山&小島がコメントスペースに残る

▼天山「コジありがとう。いつも組んでるから、なんか正面にコジがいるって、ちょっとこっちもビビッと来ますね。やっぱり全日本プロレスの偉大なジャイアント馬場さんのリングに出ることができて、ホンマに今日は光栄です。自分なんか全日本と関係ないかもしれないけど、こうして出ることができて。武藤さんのデカい背中を今見たけど、やっぱ凄いっすよ、先輩として。ホンマに目標にできる偉大な先輩。馬場さんもしかり、もちろん武藤さんも。これから頑張らなきゃって思いますよ。コジもね、やっぱ強いな」

▼小島「久しぶりにいい刺激もらいましたんで。まさか諏訪魔との仲直りって言っていいかわからないけど、ああいうふうになれたのも、やっぱ馬場さんのおかげなのかなって気がします」

▼天山「なんかあったの? 諏訪魔と」

▼小島「ずっと大喧嘩してたんだよ。そういうのも含めて」

▼天山「俺はちょっと知らんけど。もっとやれよ」

――天山選手はモンゴリアンチョップを出そうとする場面もあったが、やはり抵抗がある?

▼天山「やっぱ名古屋でクソ生意気なオーカーンにやられて。約束は約束。しっかりと俺も男やったら、口に出した以上、約束というのは守らなきゃいけない。その通り、今日はちょっとね。自分的には天山広吉と言ったらモンゴリアンチョップって代名詞になっているからね。それが出せないというのは、100%のうちの10%もフルエンジンでいけなかったというのは悔しかったなって。コジにも逆にやられて、何回使ったんやって感じで。ふざけんなよって。でも、いろんな人からパワーもらいました。私事ですけど、3日前に自分の親父が亡くなってしまいまして。本当に突然というか、急なことだったんですけどね。こんなコロナの時期でなんだかんだ、ちょっと落ち込んでいる時に、自分的にもモンゴリアンも封印されて、そして親父も亡くなってしまって、メチャクチャ落ち込んで。ホンマ自分自身どうしたらいいかって。でも、やっぱり最後はリングに上がって、自分を見せるっていうか、見せたいっていう。今の全部をさらけ出してリングで表現しなきゃいけない。断ることはできなかったですよね、出場を。偉大な馬場さんの大会にマッチメイクされて、しっかりとぶつかって試合をしたかったというのもあって。まぁ、親父はプロレスも好きで、小さい頃から連れて行ってもらって。新日本ももちろん全日本も。馬場さんの試合も一緒に見てというのもあったし、そういう意味で、この23回忌っていうのは、馬場さんに与えられた…『お前頑張れよ』って背中を押してくれた馬場さんにも感謝します。まぁでも、涙も出尽くして、これ以上、出ないって感じですよ。あとは残りのレスラー人生、天山広吉ガッチリ頑張っていきたいと思います。コジも頑張って」

▼小島「はい。また頑張りましょう」

▼天山「ありがとう」

――亡くなられた時の状況は?

▼天山「(新日本1・30)名古屋から帰ってきて、その日一日お休みで、その2月1日です。前々から心臓も悪くて、何十年前も手術して、入院して退院の繰り返しで、体は強くなかったんですけど、最後はちょっと寝たきりみたいな。老衰ってことで最後はもう。電話かかってきて、新横浜着いた瞬間にまた電話かかってきて、間に合わなかったですけど、最後の最後を見てあげることができて。昨日、告別式もできて、その期間は運命というか、ちゃんとしっかり見送ることができて、そして今日、馬場さんの興行にしっかり出るように背中を押されました」

――死因というのは?

▼天山「心臓がもうある程度困難な感じで。年齢は76ですね。昭和19年生まれなんですけど。名前は山本健治と言います。まさかね。いつかこんな日が来るというのはありましたけど、本当にモンゴリアンも封印されて、落ち込んでいる時にまた…。自分にとってはどん底というか、何もかも失ったという。ずっと2日間そばにいて、ありがとうって。今まで頑張ってくれてありがとうという感じでしたね」

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