9/11【新日本】小林邦昭さんに追悼10カウントゴング 棚橋は涙「これからも見守っていてください」
『Road to DESTRUCTION』宮城・仙台サンプラザホール(2024年9月11日)
大会開始前に、今月9日に68歳で亡くなられた小林邦昭さんの追悼セレモニーが行われた。
小林さんは1973年2月にデビュー。海外遠征から帰国後の82年から初代タイガーマスクと抗争を繰り広げて、“虎ハンター"として脚光を浴びた。その後、長州力率いるジャパンプロレスの一員として全日本に参戦。87年に新日本復帰を果たすと、第4代IWGPジュニアヘビー級王座を戴冠した。92年には越中詩郎らと反選手会同盟(のちの平成維震軍)を結成したが、2000年4月に現役を引退。その後はがんを患いながらも、新日本道場の管理人として後進の育成に尽力した。
セレモニーでは、棚橋弘至社長が遺影を抱いて、小林さんと縁の深い4代目タイガーマスクと一緒にリングに上がり、出場選手たちがリングサイドに集まると、追悼の10カウントゴングが鳴らされ、観客とともに黙祷を捧げた。
バックステージで改めてコメントを発表した棚橋は「僕以降の全ての選手は小林さんに本当にいろいろお世話になってまして、みんなそれぞれに小林さんとの思い出、エピソードっていうのはいろいろあるんじゃないですかね?」と振り返ると、途中で言葉を詰まらせながら「本当にあの……優しい方で、レスラーの巡業の大変さだったりとか、試合の……キツさとかちゃんと理解してくれてて……いつも本当に現役の選手を労う言葉をいっぱいかけてもらってっていうね」と語り、たまらず涙。「お本当に長い間、新日本プロレスに関わっていただいて、盛り上げていただいて、助けてくれてありがとうございました。これからも……新日本プロレスの選手たち……見守っていてください。本当にありがとうございました」と小林さんに感謝の言葉を重ねていた。
【棚橋の話】
▼棚橋「僕、入門してね、2000年の4月に引退されて、その後は本当にもう道場の管理人として、僕がヤングライオンの頃、だから僕以降の全ての選手は小林さんに本当にいろいろお世話になってまして、みんなそれぞれに小林さんとの思い出、エピソードっていうのはいろいろあるんじゃないですかね? 本当にあの……優しい方で、レスラーの巡業の大変さだったりとか、(※言葉に詰まりながら)試合の……キツさとかちゃんと理解してくれてて……いつも本当に現役の選手を労う言葉をいっぱいかけてもらってっていうね……本当に小林さんのちゃんこで今の選手は大きくなったし、本当に長い間、新日本プロレスに関わっていただいて、盛り上げていただいて、助けてくれてありがとうございました。(※涙声で)これからも……新日本プロレスの選手たち……見守っていてください。本当にありがとうございました」
――ファン時代に見ていた小林さんと、実際に道場で接した小林さんと、全然印象が違っていましたか?
▼棚橋「う〜ん、小林さんはね、維新軍とかやっぱ反体制が多かったんですけど、本当に純朴な方で、本当になんだろう? やっぱりプロレス界に入るのが早かったからですかね? 本当にピュアなままね…ピュアでしたよ、虎ハンター」